「瞬。開けてくれ」
瞬に そんなふうに逃げられて、それでもその夜、氷河が瞬の部屋を訪れたのは、部屋に閉じこもったまま外に出てこない瞬を、星矢たちが心配していたからだった。
そんな大義名分などなくても、彼は同じことをしていただろうが。
自分が不様な真似をしていると認識することなど、今の氷河は少しも恐ろしくなかったのだ。
すべては瞬に知られてしまっている。
隠さなければならないことは、もう、ない。
仲間の域を越えて瞬の特別な存在になり、自分にとっても瞬を特別な存在にしたいという思いは――これまでひた隠しに隠してきた その思いは、もう隠しようがない。
それはもう、抑えようがないところにまで高まってしまっていた。

答えの返ってこないドアに向かって、氷河はもう一度告げた。
「開けてくれるまで、ここを動かん」
返事は、やはり返ってこない。
氷河は、それでも無言で、その場に立ち尽くしていた。
30分ほどの時間が経ってから――おそらく、氷河がそこにいないことを確かめるために、瞬はそうしたのであろうが――瞬の部屋のドアが細く開けられる。
閉じられてしまう前に、氷河はがっしりとそのドアを掴んだ。
慌てて瞬が閉めようとしたドアを力づくで開き、室内に入り込む。

「氷河……」
半ば怯えたような眼差しを瞬に向けられ、氷河は嘆息した。
「……おまえは、そんなに俺よりミッドガルドの方が好きなのか」
予想に反して静かな氷河の声に、瞬が瞳を見開く。
「だから、ミッドガルドには許したことを、俺には許せないと言うのか。俺に……抱かれるのは、そんなに嫌か」
「……!」
はっきり言葉にされて、瞬は返事に窮してしまったのである。
氷河に抱きすくめられ、名前を囁かれ、好きだと告げられて、自分でも信じられないほど身体が震えた、今日の午後の出来事に、瞬は混乱していた。
あれほど容易にミッドガルドを受け入れることのできた自分がなぜ――と。

少なくとも、ミッドガルドを初めて受け入れた時、瞬は彼の 人となりすらも良く分かっていなかった。
幼い頃からずっと気にかけ、気心も知れている氷河に抱きしめられたくらいのことで、何故あれほどまでに鼓動が速まり、身体が震えたのか――が、瞬には理解できなかったのだ。
何か――瞬の中には割りきれない何かがわだかまっていた。

「そんなことじゃない……。僕はミッドガルドが好きなんだよ。今も。だのに、彼がいなくなったからって、即座に氷河に乗り替えるみたいなことはしたくないし、できない……って……」
それは決して嘘ではなかった。
だが、瞬は口をついて出る自分の言葉に空々しいものを感じていた。
少なくとも、たった今、瞬が氷河を受け入れまいとするその理由は、はっきりこれと言い切ることのできない恐ろしさのためだった。
長い付き合いのこの友人が、瞬は恐かったのだ。
――理由は、わからないけれども。

「ミッドガルドに義理立てしたいのなら、抵抗すればいい。力づくで俺に乱暴されたことにしてしまえばいい。それで、おまえのミッドガルドヘの義理は立つだろう……!」
言うなり氷河が、力任せに瞬を引き寄せ、抱きしめる。
「ミッドガルドのことがなかったら、俺は一生おまえに触れるようなことはしなかっただろう。俺は、俺がおまえにそんなことを望んでいるなどとは悟られないつもりでいたし、自分から知らせるようなことも決してしないつもりでいた。だが、な……」

ミッドガルドが、その秘密を瞬に知らせてしまった。
その秘密を武器にして、ミッドガルドは瞬を手に入れてしまった。
瞬が、それで、ミッドガルドを拒むでもなく受け入れるのを見せられて、我慢できるわけがないのだ。
許せるはずがないではないか。
ミッドガルドは、“氷河”の二次的人格である。
そんなものに瞬を奪われて、何故それを本来の人格である自分が、為す術もなくただ黙って見ていなければならないというのだ。
(俺のものだ……!)
瞬のミッドガルドヘの義理立てを試みやすくするために、わざと乱暴に、氷河は瞬の腕を掴みあげた。

「氷河……!」
どうすれば、氷河に考え直してもらえるのか――瞬にはその方法が思いつかなかったのである。
「氷河、やめてよ、頼むから……! 僕、きっと淫らなことしちゃう……あさましいことしちゃう! 僕、氷河にそんなの見られたくない……!」
半ば懇願するように訴える瞬をベッドの脇に引きずって行き、氷河はその上に瞬の肩を押しつけた。
逆らい続ける瞬の腕を封じこめ、ためらいもせずに、その衣類を奪う。
「氷河……っ!」

すべてを氷河の前にさらすことになってから、瞬はやっと抵抗を諦めた。
氷河から顔をそむけ、横を向き、瞬は、なぜ今更そんなものを感じてしまうのか自分でもわからない激しい羞恥心に唇を噛んでいた。
それでも結局 氷河を拒絶しきれないのは、やはり彼を失ってしまうのが恐いから、だった。
ここで氷河を拒み通したら、二人の間には、もう事あるごとにふらりとシベリアに行かれてしまうくらいのことでは済まなくなるかもしれない距離が生じることになるに違いないという不安のためだった。

氷河は、静かになった瞬の裸体を、彼の枕元に腰をおろしてしばらくじっと見詰めていた。
「おまえは……俺が嫌いなわけではないんだろう?」
横を向いたまま身動みじろぎ一つしない瞬をなだめるように、あるいは彼に懇願するように、氷河が低い声で尋ねてくる。
少しの間 ためらったのだが、やがて瞬は氷河から顔をそむけたまま、こくりと彼に頷いた。
「俺と身体を重ねるくらいなら死んだ方がましだと思っているわけでもない」
瞬が、再び小さく頷く。

氷河は、それさえ確認できればよかったのである。
脇を向いたままの瞬のうなじに軽く触れるように口付け、それから彼はその手を伸ばして瞬の肌に触れた。
瞬が大きく身体を震わせるのを鎮めるため、その耳許で言いきかせるように、囁く。
「俺は、本当はいつも、おまえがいればよかった。おまえさえいてくれれば、それで」
その言葉を幾度か繰り返し、そうしてから氷河は、自分の身に着けていたものを取って、瞬に身体を重ねていった。

「あ……あ……」
重ねられた身体の熱さに、瞬は大きく身震いした。
なるべくあからさまに感じまいとする決意も、そう時を過ごさぬうちに自らの喘ぎに打ち消され、瞬は自分でも気付かぬうちに、その腕を氷河に絡め、氷河を求め始めていた。

『必ず生きて、また会うんだ……!』
幼い頃の氷河の言葉を、なぜか瞬は思い出していた。
『泣かないでよ、氷河。僕、ちゃんと帰ってくるから……!』
六年前の、あの幼いやりとりの結果が、この交わりなのだろうか。
ミッドガルドのことさえ、ヴァルハラ宮での出来事とその記憶さえなかったら、なかなか可愛らしい話だと思う。

北の宮殿での出来事を打ち消すために、ことさら執拗に、何かに挑むように自分を責めたててくる氷河の愛撫が、瞬はひどく辛かったし、悲しかったし、切なかった。
それは確かにミッドガルドとの交わりとは違うものだった。
胸の痛むような切なさ、やりきれなさが、瞬の肢体にまとわりついて離れない。
「あ……う……!」

瞬の奥深くに氷河が入り込む。
そのままふわりと包みこむように瞬の上に覆いかぶさり、氷河は長く息を吐いた。
熱いのか痛いのかの判別が、瞬にはできなかった。
ただそれは、耐え難いほどに苦しい感情を瞬にもたらし、瞬はその行為の主体者に対して救いを求めること以外には 何もできなかったのだ。
白く細い腕を氷河の首にまわし、瞬は氷河にしがみついた。
それを合図に、氷河が瞬の身体を揺さぶり始める。
それから、気が狂ってしまいそうなほどに長い絶頂感が始まり、瞬はそれが終わりを迎える時まで自分の意識を保っていることができなかった。






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