城戸邸のラウンジに、一輝の姿があった。 彼が仲間と弟のもとに帰ってきたのは半年振り。 瞬は狂喜して兄の側を離れようとはせず、氷河はそんな二人を不機嫌そうに眺めている。 こういう時氷河の側にいると、どんなとばっちりを受けることになるかわからないとばかり、星矢と紫龍は朝から外出したまま帰ってくる気配もなかった。 この微妙かつ険悪極まりない三角形を描いている三人に恐れもなく近付けるのは、この世にアテナひとりだけ、である。 「あら、三人だけなの。ちょうどよかったわ」 春らしいクリーム色のワンピースの裾を軽やかに翻し、沙織はラウンジに入ってくるなり、開口一番そう言った。 肘掛椅子に腰を下ろし、瞬のいれた紅茶を賞味していた一輝と、その横で喜々として兄の給仕を務めていた瞬が、アテナの登場に顔をあげる。 氷河だけが、沙織の登場に反応を示さずムスッとしたままで、彼の視線は一輝の側を離れようとしない瞬だけを追っていた。 「あなたがたの誰かに、フランスに行ってもらいたいのですが……」 「フランス?」 瞬がトレイの上にポットを戻して、沙織に尋ね返す。 沙織はちらりと一輝に視線を投げてから、瞬に微笑を向けた。 「ええ。知っているかしら。カルカソンヌ。ラングドック地方の有名な城塞都市なんだけど」 「有名なとこなんですか? 僕、聞いたことないですけど……。その城塞都市がどうしたんです?」 小首をかしげる瞬に、沙織が肩をすくめる。 「大したことではないの。ミロから噂を聞いて――。その噂の真偽を確かめてきてほしいのよ」 「噂?」 瞬が、ますます訳がわからないという表情になる。 瞬の注意が自分から逸れたのを幸い、一輝はティーカップをサイドテーブルに置いた。 最近紅茶に凝っている瞬に無理やり飲まされていたモンターニュブルーなのだが、一輝はその甘い香りにめげかけていたところだったのだ。 酒がなければミネラルウォーターかスポーツドリンクを常飲している一輝に、フルーツフレーバーのミックスティーなど飲めた代物ではなかった。 「未練な男の亡霊でも出るというのか」 兄の低い声に、瞬がびくりと身体を震わせる。兄が何故突然そんなことを言い出したのかは測りかねたが、瞬はとにかく幽霊・お化け・亡霊の類が大嫌いだったのだ。 「兄さん、なに急にそんなこと……」 「あら、よくわかったわね」 そんな気味の悪い話はやめてほしいと訴えようとした瞬を、沙織の笑顔が遮る。 「そうなの。金髪の中世の騎士の恰好をした亡霊がね、カルカソンヌの城塞内を徘徊しているという噂なのよ。有名な観光都市なのに、その噂のせいで、最近観光客が寄りつかなくなっているという話」 「ふん」 何故か一輝は氷河を一瞥し、それから鼻で笑った。 「俺が行ってもどうにもなるまい。氷河。これは貴様の担当だ」 「なんで俺が……」 そんなところに行って亡霊とご対面しなければならないんだ! ――と言葉にしかけて、氷河はそれを思いとどまった。 代わりに、兄の横で青ざめている瞬に誘いをかけてみる。 「そうだ、瞬。二人で行かないか? ラングドックといえば、フランス一のワイン生産量を誇るところだ。フランス料理食べ歩きツアーでも……」 氷河の誘いを、しかし、瞬は言下に拒絶した。 「やーです! どうして僕が! せっかく兄さんが帰ってきてくれてるっていうのに! 氷河と一緒にそんなとこ行ったって、僕、お酒は飲めないし、亡霊なんてのにも興味ありません!」 瞬のつれない返事に多少のダメージを受けないでもなかったのだが、悲しいかな、氷河は、何事にも兄を優先させる瞬の言動に慣れていた。 一輝が城戸邸にいない時ならともかく、兄と共に過ごせる時間を振り切ってまで瞬が自分と旅行に出る気になってくれることはまずあるまいと、察してはいたのだ。 それでも、万に一つの可能性に賭けて口にした誘いだったのである、それは。 しかし、氷河への援護射撃は意外な男の口から発せられた。 「ま、いちばんの適役はこの二人の組み合わせだろうな」 あろうことか、一輝が、氷河と瞬の二人旅を奨励するようなことを言いだしたのである。 「ええ、そうなのですが……」 アテナまでが、躊躇いを含んだ声音で一輝に同調する。 この二人の要請を、瞬に拒めるはずがない。 『兄さん。僕が帰ってくる前に姿を消したりなんかしないでくださいね』 三日後、くどいほど兄に念を押した瞬は、氷河と共に、欧州大陸に向かう機上の人になっていたのである。 |