第一章 中世への扉






パリ・ド・ゴール空港で、二人はミロの出迎えを受けた。
「氷河! なんだ、またでかくなったのか?」
そう言って、満面の笑みをたたえながら氷河と瞬に近付いてきた蠍座の黄金聖闘士は、薄紫のYシャツに黒のネクタイ。
一見したところは、危ない趣味の芸術家崩れといったところで、到底肉体労働を生業とするアテナの聖闘士には見えなかった。
「アンドロメダは相変わらずちっこいな。まだ氷河を袖にし続けているのか?」
氷河には『でかくなった』で、自分には『相変わらずちっこい』――瞬は、ぴくんと唇の端を引きつらせた。
相手が黄金聖闘士でなかったら、『これでも、日本人の平均身長はキープしているんです!』くらいは言い返していただろう。
勝気なくせに、妙に上下関係を重んじる瞬は、この大先輩に対して、もちろん機嫌を損ねた素振りを見せたりはしなかった。
「ご無沙汰しています。すみません、わざわざお出迎えいただいて」
日本人らしい――もとい、今時の日本の若者にしては珍しい――礼儀正しさで、瞬はぺこりとミロに頭を下げた。
ミロが口許に微苦笑を刻み、そんな瞬を見降ろす。
「冗談だよ。とても綺麗になった。あと二、三年は氷河を振り続けてやるといい」
多分それは、日本人とは感覚の違う彼なりのフォローなのだろう――と、瞬は無理に自分を納得させた。
そうせずにはいられなかったのである。でなければ、瞬は、この大先輩の前で爆発してしまいそうだった。
「ありがとうございます。ご助言には従えるよう努力します」
装い慣れた“大人しい良い子”を、瞬は完璧に演じ続ける。
「ミロ、余計なことを言うな! 瞬、こんな馬鹿の冗談を真に受けないでくれ!」
先輩も黄金聖闘士も上下も左右も重んじない氷河は、ミロには命令口調、瞬には懇願である。
ミロは、しかし、後輩の無礼に気を悪くした様子は見せなかった。代わりに、少し残念そうな顔をする。
「怒っている顔が一番綺麗なのに、それは氷河にしか見せないんだな、君は」
「え……」
ついうっかり演技と礼儀を忘れ、瞬がミロを見上げる。
目を見張っている瞬に素早いウインクを送ってから、ミロは、乗りの軽すぎる黄金聖闘士を睨みつけたままの氷河に向き直った。
そして、少しばかり真面目な顔になる。
「ああ、例の幽霊の件だが、聖闘士絡みでもいにしえの神絡みでもなさそうだから、観光がてら気楽に構えて行くことだ。仔猫ちゃんが一緒なのなら怖がらせない方がいいだろうし――むしろ、何故アテナがわざわざおまえたちをよこしたのかが、私には理解できない……」
後半部分はほとんど一人言だった。
ミロは既に自分でカルカソンヌに出向き、亡霊との対面を果してきたらしい。
「あれは――残留思念というのかな。身に着けているものも聖衣ではなく、中世の普通の甲冑で――」
「邪悪な感じもなかったのか?」
「いや、特には。ただ――」
「ただ?」
「顔もおまえにそっくりだったが、思念もおまえのそれに似ていたな」
「なに?」
「欲しくて欲しくてたまらないものを自分のものにできないもどかしさ、のような……」
瞬は、平均的日本人の身長の自分には届かない場所で勝手に話を進めている氷河とミロに疎外感を感じていた。
が、まあ、幽霊の話になど積極的に関与したくもなかったので、呑気に、どこぞの太ったおばさんが抱いている仔犬などを眺めていたのである。
ふと気付くと、長身のスラブ民族とラテン民族の聖闘士が、揃って瞬を見降ろしていた。
「え? なに?」
授業中のよそ見を教師に見咎められた小学生のようにどぎまぎしつつ、瞬が二人にぎこちない作り笑いを向ける。
それを見て、氷河は深い溜め息を洩らした。
「は……。このまま何の進展もなくここで死ぬことになったら、俺だって化けて出たくなるぞ」
「おまえの忍耐強さだけは、私も認めている」
ミロのそれは完全に氷河を馬鹿にした口調だったが、氷河には怒る気力も湧いてこなかった。






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