陽光の下で見るカルカソンヌは、夜の幻想的な佇まいが嘘のように、堅固な中世の砦である。
城壁の内部には、石造りの城、教会、内廓の砦、防柵を巡らせた出丸バルカバーヌがある。
石畳の道はあまり幅はない。
街は、どこの角から甲冑を着けた騎士が出てきてもおかしくないような中世の雰囲気を色濃く残していた。
メインストリートは少々俗化されてカフェや土産物店が立ち並んでいたが、道を一本奥に入ると、そこには石造りの高い塔の落とす濃い影が、この城塞都市の辿ってきた歴史を物語るかのように、空気をひんやりと冷やしている。
例の亡霊騒ぎのせいか、現代に奇跡のように残された中世の街に、人通りはほとんどない。
翌日早速、氷河と瞬はホテルのフロントから貰った日本語のパンフレットを手に、この中世の都市の散策を始めたのだった。
「わあ、ほんとに町が一つ城壁で囲まれてるんだ。お城や塔だけかと思ったら、教会や民家までたくさんあるー!」
まさか昼間から亡霊が出てくるはずもないと思い込んでいるのか、柔らかい春の陽射しに暖められた石畳の通りを歩く瞬の足取りは軽い。
氷河はといえば、ホテルにダブルの部屋を二室キープしてくれていた、沙織の悪意とも好意ともつかない仕打ちにめげながら、瞬の後を追いかけるのみ、だった。
「え……と。『カルカソンヌは、フランスの名門トランカヴェル一族の支配していた街で、十三世紀初頭、法王インノケンティウス三世の号令に因って成ったアルビジョア十字軍に攻め落とされるまで、一度の落城も経験したことのない堅固な要塞都市です』」
瞬は、そんな氷河の傷心に気付いている様子は全くない。
乱立する城壁や高塔を見上げながら、おそらくは氷河に聞かせるために、パンフレットの説明文を声に出して読みあげた。
「『アルビジョア十字軍は、西欧における唯一の聖戦であり、かつ、成功した唯一の聖戦でもあります。南仏ラングドック地方で隆盛を誇った異端・カタリ派教徒をほぼ全滅させ、その犠牲者は数十万人に及びました』 数十万!」
その犠牲者の数に驚いて、瞬が声のトーンを上げる。
それから、瞬は、力無く肩を落とした。
「ねえ、氷河……。どうして人間って、こんな残酷なことができちゃうんだろ……。信じてる宗教の内容がちょっと違ってるだけで、別に危害を加えられたわけでもないのに、虐殺するなんて……」
「まあ、カタリ派ってのは、キリスト教と言いながら、実質はゾロアスター教やマニ教に近い教義を掲げた宗教だったらしいからな。ローマ・カトリック教会とは相容れないものがあったんだろう。カタリ派の教義は二元論、言ってみれば二神論なんだ」
「二神論?」
「善の神と悪の神――つまり、神と悪魔が世界を造ったって考え方だな。神が魂を作り、悪魔が肉体を作った。人間は悪魔の作った肉体に神の作った魂の宿ったもので、だから、悪魔の作った身体なんか大事にしても仕様がないっていうんで、カタリ派は自殺も容認していたらしい」
「え……自殺……?」
それはそれで瞬には認め難い考え方である。
ローマ法王の名の下に――ひいては神の名の下に――異端というだけで、同じ人間を殺戮する残虐も許せないが、自然によって与えられた命を自分の都合だけで断ち切る行為というのもまた殺人の一種なのではないか――瞬はそう思いながら、再びパンフレットに視線を落とした。
「『カタリ派には帰依者クロワヤン完徳者パルフェの区分があり、慰藉式コンソラメントウムを受けた完徳者は極限的な禁欲生活を義務とされていました。その内容は、肉食を行わぬこと、嘘言を吐かぬこと、誓いを立てぬこと、いかなる形の死をもって脅されても教義を棄てぬこと、いかなる肉体の交渉にも身を委ねぬこ……」
学校のテキストを読む口調でパンフレットを読み進めていた瞬が、自分の口にしている文章の意味に一瞬遅れて気付き、ぱたりと言葉を途切らせる。
今時、その程度の表現を恥じらう者など小学生にもいないのに、と氷河は苦笑しかけたが、彼は結局そうするのをやめた。
瞬から声を奪ったのが、他ならぬ自分自身だということに思い至ったからである。
いつも冗談めかして瞬を口説き続ける男のその言葉が、実は冗談などではないことを、瞬はちゃんと気付いているのだ。
氷河は、この場は、瞬のために、カタリ派完徳者の神聖な義務については興味のない振りをすることにした。
「この通りを抜けるとサン・ナゼール教会に出るが、ただ歩き回っているだけじゃ、なかなか亡霊にはお目にかかれそうにないな」
氷河の言葉に救われたように、瞬が小さく吐息する。
「僕、そんなのにお目にかかりたくなんかないもの。そんなのどうだっていいじゃない。沙織さんだって、一週間滞在して何もなかったら、そのまま帰ってきていいって言ってたし」
「そうだな。その時は、土産にルシヨンワインでも買って帰るとするか」
「そーしよ、そーしよ」
自分の中の気まずさを振り払ったらしい瞬が、明るい笑顔を取り戻す。
氷河は自分の甘さに内心舌打ちしながらも、瞬に賛同の意を示してやることしかできなかった。
彼は他にどうしようもなかったのである。瞬が兄以上に氷河を必要としてくれる時も、自分の何もかもを、この金髪の聖闘士に委ねていいと思うようになってくれる時も、まだかなり先のことのようだったから。






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