意識を失っていたのは、ほんの数秒のことだったろう。
しかし、シュンは、まるで深い眠りの淵からやっと這い上がってきた人間のように、意識を取り戻した。
シュンは、まだ、ヘリオスの腕の中にいた。
ヘリオスは膝の上にシュンを横抱きに抱き、彼の左の手はシュンの頬を自らの胸に押しつけるように、緑の髪に絡められていた。
シュンの瞼が動くのを、胸に感じたのだろう。
シュンが、『なぜ?』と問いかける前に、ヘリオスが口を開く。
「同じことを、私は以前、アポロンに対しても為した。おまえはこの私のものなのだと、あの若い神に思い知らせてやるために」
ヘリオスが、シュンの髪を撫でながら、言う。

「おまえがあの時どう思ったかも知っている。あの頃アポロンは、私がゼウスを通じて神々と交わした契約――いかなる神も、私から太陽神の神格以外の何物も奪い取ることはできないという契約を十分承知していながら、やたらとおまえに近付いて、戯れを装いながら、おまえに気のある素振りを見せていた。だから、私が、アポロンのいることを知りながら、わざと奴の目の前で、奴が執着しているおまえを愛してみせたのだ──と、おまえは思ったんだろう? 私が太陽神の神格を放棄してまで手に入れたものを誇り、私のように神格を放棄して おまえを自分のものにすることのできないアポロンを嘲笑うために──私が私の虚栄心を満たすために、あんなことをしたのだと──おまえは思った」
「……」

ヘリオスに抱かれたまま、シュンは身じろぎもせず、また、一言の声を発することもせずにいた。
ヘリオスの言う通りだった。
シュンは、今の今までそう思っていた。
そうとしか思えなかったのである。
それは 二人だけが知っていればいいこと──ヘリオスと自分が愛し合い、互いに満たされているということは、二人だけがわかっていればいいことである。
それは 第三者にさらけだしてみせる必要などないことなのだ。
だというのに、ヘリオスは あえて それをアポロンの目に入れた。
シュンはあの時、ヘリオスは、彼が失ったものには価値がなく、彼が手に入れたものには価値があるのだと、彼自身に言いきかせるために、そんな行為に及んだのではないかとさえ――その可能性をさえ、考えたのだった。

「だが、そうではないんだ。私があんなことをしたのは、アポロンが本気だということに気付いたからだ。……いや、本当は最初から知っていた。アポロンは、神々や人間たちから褒めそやされ、持ちあげられ、傲慢で我儘で愛のなんたるかも知らないような男だし、それで実際、奴はこれまでたくさんの恋を失ってきたが、あの男はいつも どの恋にも本気だった。……分別のない、だが力のある神が、本気でおまえに恋焦がれているんだ。あの男は、神が神に与える刑罰も、神々の集いに加わる資格の喪失も意に介さず、おまえに何をするかわかったものではなかった。だから、私は、その愚を奴に悟らせようとしたんだ。おまえの心も身体も、すべては私のもので、私の腕の中でおまえがどれほど美しいかを奴に見せつけることで──」
「……」
シュンはそれでも黙りこくって、俯いたままだった。
それがいったい エンデュミオンとどう関係があるのだと、本当はシュンはヘリオスを問い詰めたかった。

だが、エンデュミオンはこの泉の近くにはいなかったのだと、シュンは思いたかったのである。
その思いが、ここでエンデュミオンの名を口にすることを、シュンにためらわせていた。
そして、ヘリオスも それ以上は何も言おうとはしなかった。
自分が誰かに愛されていることに鈍感な恋人に、恋敵の思いを伝えてやる親切心は、ヘリオスには持ち得ないものだった。
まして、エンデュミオンは神ではなく、人間である。
ヘリオスがゼウスを通じてオリュンポスの神々との間に交わした契約の外に、エンデュミオンはいる――エンデュミオンはヘリオスから その恋人を奪い取ることができるのだ。
それがヘリオスを不安にさせていた。






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