「いい加減になさい!」
二人のいさかいを止めてくれたのは、そのセレネ当人だった。
「みっともない言い争いはやめたらどう? シュンを愛していると言いながら、お兄様もエンデュも、肝心のシュンを無視して……。かわいそうに、シュンは今にも泣きだしてしまいそうよ」
ヘリオポリスの庭にあふれる光を背に、ホールの入口に立つ かつての月の女神はやはり美しく、優しさと毅然とした態度を併せ持っていて、さすがのヘリオスもエンデュミオンも、彼女の叱責には黙り込んでしまった。

(こんな綺麗な人が側にいるのに、エンデュが僕を好きになることなんてありえないよね……)
シュンは、セレネを見て改めてそう思い、安堵と、そして、少しばかりの落胆を――否、失望に似た落胆を、覚えたのである。
だが、実際、そう信じていたからこそ──エンデュミオンはセレネ以外の誰にもその心を渡すことはないと信じていたからこそ、シュンはこれまで気軽にエンデュミオンに近付けていたところがあった。
シュンがエンデュミオンに屈託なく親しんでいくことができたのは、セレネに向かうエンデュミオンの心を信じていられたからだったのだ。

(エンデュとヘリオスって似たとこがあるから、それでつい喧嘩になっちゃって、たまたま僕が喧嘩の種にちょうどよかっただけなんだ……)
半ば瞼を伏せたシュンの側に、セレネが歩み寄ってくる。
シュンの髪を撫でるようにしてシュンの肩を引き寄せながら、セレネはエンデュミオンに向かって たしなめるように告げた。
「エンデュ。あなたのことだから、シュンを好きだということに夢中になって他のことに頭がまわらず、シュンの誤解もまだ解いていないのでしょう。シュンが、私とあなたの関係をどう見ていると思って? シュンはあなたのことを軽蔑しているわよ」
「……!」

エンデュミオンは突然、母親に悪戯を見咎められた子供のような顔になった。
セレネに抱き寄せられているシュンの表情を確認しようとしながら、慌てた様子で言う。
「シュ……シュン、俺はおまえに言ってなかったか? セレネは俺の母だ。おまえの目には、セレネも俺も同じ歳くらいにしか見えないだろうが、セレネは俺の何十倍も長く生きている。俺は、セレネと、人間であるエリスの国王との間に生まれた息子なんだ」
母子おやこ……? エンデュとセレネ様が?」
驚き目をみはったシュンに、エンデュミオンが大きく頷いてみせる。
そんなエンデュミオンとは逆に、シュンは小さく首を横に振ることになった。

「だ……って、セレネ様は恋のために月神としての神格を捨てたって……セレネ様の愛は変わらないって……エンデュ、そう言ってたじゃない……!」
「だから、それは……! セレネが俺の父を──処女神を汚したという理由でゼウスに滅ぼされた俺の父を愛し続けているということだ。愛した男の息子のために、セレネは月神としての神格を捨てた。それが恋のためでなくて、何のためだというんだ。俺は、そういう意味で言ったんだ!」
「あ……」
一瞬、シュンの瞳が輝いた。
エンデュミオンにも、セレネにも、ヘリオスにもわかるほどに。
そして、シュンのその瞳の輝きに、エンデュミオンとヘリオスはそれぞれに、それぞれの希望と不安を抱いたのである。
だが次の瞬間、シュンの瞳からは涙があふれだしていた。

「ヘリオス……」
セレネの側を離れ、シュンがヘリオスの胸に飛び込む。
その肩を抱きとめ抱きしめたへリオスの腕の中で、シュンは泣きじゃくりながら彼に懇願した。
「ヘリオス、エンデュに言って! 僕がヘリオスと一緒に過ごした時間の長さと、ヘリオスに好きだと言ってもらった時、僕がどんなに胸を高鳴らせたかを言って! ヘリオスが僕のためにすべてを捨てたことや、ヘリオスがどんなに僕を愛してくれているかを、エンデュ……エンデュミオンに言って!」
「シュン……」

それがエンデュミオンに訴えたいことなのではなく、シュンが自分自身に言い聞かせてほしいと思っていることなのだということがわからないヘリオスではなかった。
揺れ動いているシュンの心を引きとめるように、ヘリオスが強くシュンを抱きしめる。
白くなるほどに強く拳を握りしめ、燃えるような目で二人を見詰めていたエンデュミオンは、やがて無言で踵をかえし、主神殿のホールを足早に出ていってしまった。
エンデュミオンが遠ざかっていく気配を感じながら、シュンの肩が徐々に強張っていく。
目を閉じて、蒼ざめた類を、シュンはヘリオスの胸に押しつけたのである。
現在いまから続く、光のない永遠を一人で耐えていくために。






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