「――馬鹿な夢を見るのはやめるがよい。転生をして、再び巡り遭える可能性など皆無に等しい」
シュンとエンデュミオンの間に、ゼウスの声が割って入る。
しかし、シュンの心はもう決まっていた。
「夢?」
シュンがゼウスのいる玉座に向き直る。
力強い目と言葉で、シュンは大神に対峙した。
「そう……だね。僕、昔は――限りある命の人間だった頃には、たくさんの夢を持っていた。とても叶いそうにない夢や、ちょっと手をのばせば すぐに掴み取れそうな夢や……。でも、永遠の命を得てから、僕は何も夢見ることができなくなったんだ。だって、夢を見てどうなるの。その夢が叶おうが叶うまいが、何も変わらない僕が存在し続けるだけなのに。多分、永遠の命があれば、どんな夢もいつかは叶って、それは夢ではなくなる。でも、夢は――叶わないかもしれないから夢なんだ。叶わないかもしれないから、人間は夢のために努力し続けることができるんだ。叶わないかもしれないから、人は夢を見続けることができる……!」
シュンのまっすぐな瞳、強い意思の力――それこそが、ゼウスの最も怖れるものだった。
そんな人間をこそ、ゼウスは怖れ続けてきたのだ。

「私は私の力で、そなたたちの転生を禁ずることもできるのだぞ」
シュンの、そして エンデュミオンのただ一つの希望の灯を打ち消すようなゼウスの言葉にも、シュンは微笑んでみせた。
――少し、つらそうに。
「神の力で転生を禁じられても――永遠の生を奪われ、塵になって消えていくその一瞬に、僕は永遠を夢見るよ」
ゼウスに、エンデュミオンに、そして自分自身に言い聞かせるように、シュンが言い切る。
神々の父は表情を変えずに、しかし、ひどく複雑な感情の色を瞳にのせ、かなりの間をおいてから、やっと口を開いた。

「よかろう。そこまで言うのなら、そなたの永遠の命と若さを、そなたの上から取り除いてやろう。ただし、すべての生物の転生と再生を司る神はこの私ではないし、その神は私の言うことなど聞くような神ではないから、転生後のことまでは、私は関知せぬぞ」
「ありがとうございます……!」
シュンが、ゼウスに 全く邪気のない――本当に心から感謝しているようにしか見えない目を向け、礼を言う。
その あまりの邪気のなさに、ゼウスは嘆息し、半ば自嘲気味に笑った。
「神の力によって望みが叶うのだということを、胆に命じておけ」
「ええ。おそらく、こういう時のために、人間は神という存在を作ったのだと思います。あの……」
恐ろしく挑戦的なことを、恐ろしく明るい笑顔と共に言葉にのせてゼウスに言い、それからシュンは神妙な顔になった。

「僕は人間だから――神々のことまではどうこう言う権利も力もないですから、あなたにお願いします。祈ります。ヘリオスを……ヘリオスとセレネ様を、どうか幸せにしてあげてください。神々の幸福ってどんなものなのか、僕にはよくわからないし、実際、ヘリオスと僕の価値感はひどく違っていて、だから僕はヘリオスを幸福にしてあげることはできなかったけど、あなたは神で、神々の父で、そしてヘリオスの従弟でしょ。ヘリオスとセレネ様は幸福になるだけの価値がある神々で、あなたは先が見えすぎるだけで、そんな悪い神様じゃないみたいだし、だから、へリオスとセレネ様に優しくしてあげてください」
「……」

シュンが初めて、ゼウスに対して頭を下げる。
ゼウスは、呆れて二の句が次げなかった。
人間が――しかも、小さな少年が――神を――大神ゼウスに次ぐ有力な神を――気遣っている。
神々の父ゼウスを『悪い神様じゃない』と評価し、挙句の果てが『優しくしてあげてください』である。
ゼウスはもう笑うしかなくなり、実際、声をあげて笑った。
その笑い声に驚いて、シュンが、今ははっきりと姿の見えるようになったゼウスの顔を見上げる。
そうしてシュンは、ゼウスの聖座の横に、ヘリオスとセレネの姿を見付けたのだった。
「あ……」

へリオスには、シュンを責めているような様子はなかった。
だが、彼は つらそうな目をしていた。
「ヘリオス……」
シュンはヘリオスに何事かを言おうとした。
しかし、結局、シュンは その言葉を呑み込んだ。
ヘリオスは、何もかもすべてをわかってくれているような気がした。

出会いのきらめき。
初めて愛し合った時の目眩いと高揚感。
永遠を与えられた時の、喜びにも似た苦痛。
二人だけで過ごした苦しみと幸福の長い日々。
一人の人間の一生の数十倍も長い時間、それでもシュンが人間の心を失うことがなかったのは、そのすべての時間の奥底にヘリオスの愛があることを信じていられたからだった。
そして今、二人で培ってきた長い時と愛と憎しみよりも激しく熱い人間の心に捉われて、こうすることしかできなかったのだと――ヘリオスはわかってくれているような気がした。

「人間の転生とは、新しく生まれることだ。今どれほど恋し含っていても、そのすべてを忘れて生まれ変わる。再び出会えるとは限らぬ。再び愛し合えるとも限らぬ。それでよいのだな」
ゼウスが念を押してくる。
シュンは深く頷いた。
「何もない心で、一つの生の第一歩を踏み出すことができるのが人間の力の源なのですから、構いません。それに――僕、あまり不安はないんです。生まれ変わっても、出会えさえしたら、きっと僕、もう一度エンデュに恋をするから。出会うことさえできれば――」
それでも不安はあるのだろう。
語調を弱めてしまったシュンを抱きしめてやりたい気持ちを抑え、エンデュミオンはシュンに笑いかけた。
「俺たちは、永遠を夢見ることもできるのだろう? 俺はいつかきっと――必ずおまえをこの手に抱くぞ」
「エンデュ……」
エンデュミオンに言われると、その時が来ないはずがないという気持ちになる。
「……うん」
シュンはうっすらと頬を染め、小さくエンデュミオンに頷き返した。

一瞬に永遠を夢見ることなど、一瞬で夢を叶えることなど、人間にはひどくたやすいことのような気がして、シュンはエンデュミオンを見上げ、見詰めた。
その瞬間に、極光にも似た白い光が二人を包み、その光が彼等から意識を奪う。
二人の身体は、そうして 光の中に溶け込むように、オリュンポス山の頂から消えていった。






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