暗い黄泉から、明るい現世。
その中でも能天気に明るい獅子宮が、氷河の次なる戦場だった。
対する黄金聖闘士は、レオのアイオリア。

氷河が獅子宮に足を踏み入れると、相変わらず人の善さそうな好青年聖闘士が、氷河をにこやかな笑みで迎えてきれた。

「キグナス、実に久し振りだ。いや、しかし、大変だな、君も」
「あんたもな」
「まあ、俺は何でも美味しいと入ってるから、何でもいいから適当に作りたまえ」
「ありがたい」

獅子座の聖闘士は、十数年間、兄の汚名を晴らすための努力も調査もろくにせず、ただひたすら謂れなき屈辱を耐えてきた、誠実とバカ正直だけが取りえの男である。
気持ち良いほどスムーズに進むアイオリアとの会話に、こんな男にも存在意義があったのだと、氷河は今日初めて認識したのだった。


とりあえず、その誠実さに報いるために、調理らしき行為くらいはしてやろうと考えた氷河は、何故か食材の山の中にあった、日本が世界に誇る発明品、その中でも不滅の名品と言われるサッポロ一番味噌ラーメンを手に取った。

無論、インスタント・ラーメンなど、氷河は作ったことがない。
彼は、中華鍋に適量の3倍の水を入れ、茹で時間は3分のところを30秒で済ませ、スープは当然のように入れるのを忘れた。

目の前にドン☆と置かれたラーメン丼に、アイオリアが、その人の良さそうな表情を初めて曇らせる。

「こ……これは日本料理……か?」
「代表的なものだ」
「そ…そうか」

さすがのアイオリアも躊躇を覚えなかったといえば嘘になるだろうが、そこはそれ、ここでこの食べ物(らしきもの)を拒否するほどの豪胆さは、彼にはない。

彼は、恐る恐る、その食べ物(らしきもの)を一口食べてみた。
そして、即座にそれを吐き出した。
「うわっ、何だ、これはっ!」
「…………」
「しまった……!」

彼が『不味い』という言葉を口にしなかったことは幸いである。
その言葉が、もし、この正直だけが取りえの男の口から発せられていたら、氷河はその場で勝負からのリタイアを余儀なくされていたのだ。

絶対零度よりもなお冷たい目をして自分を睨む青銅聖闘士に、アイオリアはたじたじとなり、仕方がないので、彼は取ってつけたような作り笑いを浮かべて、この後輩の怒りを鎮めようとした。

「は……ははは。すまないが、キグナス、もう一つ別に作ってくれないか」

(この馬鹿が!)

瞬の命が――もとい、身体が――こんな男の肩にかかっているのかと思うと、氷河は憤怒の思いを抑えることができなかった。
しかし、ここで、この男をブッ殺したとしても、問題は解決しないのだ。
氷河は怒りを口にはせず、無言で、今度は醤油ラーメンを作った。

「今度こそ、ちゃんと美味いと言うから、そんなに睨みつけなくても……」
へらへらと笑いながら、氷河の料理に箸をつけたアイオリアは、しかし、またしても。

「げ、これは人の食うものか!?」

「き……貴様〜〜っっ!!!!!!」

「あわわわわわわ、すまん。怒るな、怒らんでくれ、キグナス。今度こそきっと! もう一度だけチャンスをくれ!」

「…………」



正直と誠実だけが取りえの男。
それは、つまり、“融通のきかない男”“手に負えないバカ”――と同義である。

氷河が忍耐と自己抑制の限りを尽くし、なんとか、彼に、
「おお、これは美味い!」
と言わせることができたのは、氷河が、皿に盛った(故に手がかかっている)ベビースターラーメンを彼の前に差し出した時だった。


獅子宮に来て3時間、インスタントラーメン18個が残飯に姿を変えていた。







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