『新しいボディガードを雇ったから』と言って、しぶるボディガードたちを追い払うや否や、瞬は氷河の首にしがみついてきた。 「心配したんだから! きっと、氷河は僕のところに来てくれるって思ってたのに! もし、あのパスワードでアクセスがあったら、氷河は僕より任務を優先させたのだと諦めて、それで安心することもできたのに、いつまで待っても僕にもコンピュータにもアクセスがなくて、もしかしたら、氷河、僕のために自分を危険にさらしてるんじゃないかって、僕は生きた心地もしなかった…! どうして僕のところに来てくれなかったの……!」 瞬に、涙ながらにそう責められて、氷河は苦い思いを味わっていた。 そうしていれば、今、瞬の涙を見ずに済んだのか――と。 「おまえを騙しておいて、どの面下げてのこのこ会いに行けるんだ。格好がつかない」 氷河にしてみれば、それは至極当然の行動だったのだ。 今こうして瞬の涙を見る以前の氷河には。 「騙してなんかいないでしょう? そう言ってください」 必死に爪先立って氷河にしがみついている瞬が、懇願するように氷河の耳元で囁く。 「……そうだな、おまえは、騙していいような相手とは思えなかった」 甘えすがってくる仔猫を抱きあげるようにして、氷河は瞬を抱きしめた。 人にすがる仔猫には、いつも仔猫なりの真実と要求があり、その真実と要求を正当なものと認めざるを得ない時、人は仔猫の意思に沿ってやるしかないのだ。 「僕だって、一度も氷河を騙したりしませんでした。だから、きっと氷河は僕のところに来てくれると思っていたんです。ハードボイルドを気取って格好つけたり痩せ我慢していたりすることにどんな意味があるの。格好なんか気にせず、どんなに不様でも、自分にも他人にも誠実に本音で生きてる方がずっとずっと楽でいられるに決まっています。その方がずっと人の人生は豊かになると思うのに……!」 「確かに……格好を気にしすぎたせいで、俺は、一ヶ月ばかり時間を無益に浪費してしまった……らしいな」 「ほんとに無益です! 無益どころか、有害です! 僕はこの一ヶ月、ろくに眠れなかった!」 「――俺のせいで、か?」 「他の誰のせいだって言うんです!」 おまけに、その仔猫が手に負えないほど愛くるしいとなったら、人は諸手を上げて降参することしかできない。 「氷河には、今夜からたっぷり責任をとってもらいます。僕にあんなこと教え込んでおいて、そのまま放っぽっておこうだなんて、無責任にも程がある…!」 「…………」 誰も知らない処女地の泉で、たった今地上に出たばかりの清らかな湧水のような面差しの持ち主に、あきれるほど直截的な要求を突きつけられて、氷河は一瞬絶句した。 「本当に正直だな……」 思わず肩から力が抜けてしまった氷河に、瞬がひどく素直な眼差しを向け、尋ねてくる。 「その方が――正直でいるほうが、人は幸せになれるものだと思いません?」 氷河は、瞬の素直な瞳の色の深さに目を奪われながら、肩をすくめて頷いた。 「どうもそうらしい」 氷河の賛同の言葉を聞いた瞬が、嬉しそうに微笑む。 瞬の“正直な”微笑は白い花が咲きほころぶように鮮やかで、氷河は、瞬に出会うまでその存在も知ずにいた眩しい花の無邪気さに、僅かに目を細めたのだった。 Fin.
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