ともかく。
ついについに、氷河は求めていた幸福の青い鳥を見付け出すことができたのだ。
となれば、こんな薄気味悪いところに長居は無用である。

彼は瞬を抱き上げて、さっさとその場から立ち去ろうとした。

「おい、氷河。どこへ行く気だ !?」

慌てたのは星矢である。
しかし、氷河は、全く別のことで気が急いていた。

「どこへもあそこへもあるか。瞬を病院に連れていかなければならんだろーが。――おまえら、いい病院を知っているか? 男の医者は駄目だぞ。女医がいい」
「……いや、しかし、多分、この先のエリシオンにヒュプノスとタナトスが……」
「エリマキトカゲにピューリタンと田中絹代がどーしたっていうんだ! 瞬が怪我をしているんだぞっ! トカゲと瞬のどっちが大切なんだ、貴様はっ !!」
「いや、それは瞬の方が……」
「わかってるなら、さっさと戻るぞ」
「けど、黄金聖闘士やアテナや、それから、一輝が……」
「星矢っ! 貴様は、あんな殺しても死なない奴等と、俺のデリケートな瞬を一緒にする気かっ!」
「め…滅相もないっ! そっ、そんなつもりはないぜ、全然! 全然ないけど、けど、でもさぁ、やっぱ、ここで帰るのはさぁ……」


氷河の奇天烈な行動には慣れているとはいえ、それでも星矢の口調は情けなさを極めていた。
ここでこのまま地上に帰還を果たし、地上の平和が守られてしまったら、ハーデス編開始以降主人公を差し置いて出ずっぱりで活躍してくれていた黄金聖闘士たちの立場というものがない。

そして、それより何よりも。
アテナの聖闘士は、アテナがいてこそ、アテナの聖闘士なのである。
アテナが地上にいなかったら、アテナの聖闘士はただの聖闘士になってしまうではないか。

「おい、氷河。ちょっと待てよ」

やはりそれはマズいと考えた星矢は、この場から――冥界から――立ち去ろうとする氷河を引きとめた――引きとめようとした――。
その星矢を更に引きとめたのは、ストーリーの都合上、これまで妙に存在感が希薄だった龍座の聖闘士・紫龍である。


「待て、星矢」

彼の瞳は、闘いの士に不釣合いなほど思慮深く落ち着いた輝きをたたえていた。

「なんだよ、紫龍」

その思慮深い彼の思慮深い考え。
それは思慮深さの極みだった。

「落ち着いて考えてみろ。今回のボスキャラは死んだんだぞ」
「ああ、氷河の非常識のせいでなっ!」

星矢は、訳のわからないこの場の展開にほとんどヤケになっていた。
その星矢をなだめるように、紫龍が星矢の肩に手を置く。

「星矢、冷静になれ。ピューリタンや田中絹代がエリマキトカゲで女をはべらせていようが何をしていようが、ハーデスがいないなら、あいつらはずっとそうしているんじゃないか? 俺たちがエリシオンに乗り込んでいって、奴等を刺激しない限り」

「へ?」

星矢の理解力は、時に光速を超えることがあった。
それは、『聖闘士星矢』の主人公として、ストーリーをスムーズに進めなければならないという義務を自覚した時である。
今がその時だった。
彼は、一瞬にも足りぬ時間に、紫龍の言葉の意味を正確無比に理解した。


「つまり……触らぬトカゲに祟りなし、ってことか」
「うむ」


紫龍の力強い首肯を受けて、星矢は、いつになく真面目にシビアに考えた。

アテナの聖闘士の望むものはただ一つ、地上の平和と安寧である。そのために、彼等はこれまで自らの命を投げ出して闘いを続けてきた。
それは、もちろん、アテナの願いであり、黄金聖闘士たちの願いでもあるだろう。
そのために、己れの命を犠牲にすることは、彼等にとっては本望でさえあるに違いない。

今ここで、誰もエリシオンに足を踏み入れなければ、地上の平和は保たれるのである。
生き残った自分たちが、トカゲの尻尾を踏む愚を犯しさえしなければ。



「おい、貴様等、早くしろ! 瞬が疲れてしまうだろーが!」

氷河にせっつかれたからというわけではないが、星矢はその瞬間に心を決めた。
地上の平和と安寧のために命を捧げ闘ってきた、あるいは今も闘い続けているだろう数多くの聖闘士たち――仲間たち――。
彼等の悲願を叶えることこそが、彼等への愛と友情と尊敬の証だと――B型大らか主人公の星矢は、実に大らかに(細かいことは気にせずに)考えたのである。



(ま、いっか。姉さんもマリンさんもシャイナさんも美穂ちゃんも地上にいるんだし)
――と。





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