瞬は迷っていた。
毎夜自分を抱きしめる氷河という人を好きだと思う。

だが。


(この人が好きなのは“瞬”という人の魂なの)
(でも、僕は瞬じゃない。僕は、この人の“瞬”を求める心が作り出した幻なの)
(この人が好きなのは僕ではないの)



「瞬、何が不安なんだ」
「僕は瞬じゃないと思うの」
「そんなことはない。おまえは瞬だ。俺にはわかる」
「でも……」

氷河に抱きしめられると、しかし、瞬は、それ以上何も言うことができなくなる。
自分は瞬ではないと言い張って、氷河に抱きしめてもらえなくなることが恐かった。



「魂を愛するのに、器が必要なの」

それでも。
自分は“瞬”の形をかたどって、氷河に作られたものでしかないという思いが、瞬を不安で苛むのだ。


「必要はないさ。ただ、俺は生きていて、俺の魂は俺の身体につながれているから、魂だけの存在になっておまえを愛するには、おまえを貫いて、おまえの中に呑み込まれて、そして、俺自身の身体がなくなる瞬間が必要なんだ」
「だから、氷河は毎日僕の中に入ってくるの」
「他に肉体を捨て去る方法を知らない。死以外には」
「…………」

幾分寂しそうな氷河のその言葉に、瞬の胸は、鋭い針で心臓を刺激されるような痛みを覚えた。


「瞬は死んだんでしょう?」
「元の身体は」
「…………」


氷河が肉体の死をどう捉えているのかが、瞬にはわからなかった。
無論、死の意味は瞬自身にもわからない。
瞬は、自分が何故ここにこうして存在するのか、その理由すらわからずにいたのだから。
だが、もしかしたら、母親の胎内から生まれでた人間も、それは同じなのかもしれない――とも思う。

もしそうなら、自分を生んでくれた母親が氷河だということは、この上ない幸福なのかもしれない。彼はただ愛情だけで、愛することと愛されることだけを求めて、瞬を作り出してくれたのだから。
そして、瞬もまた、彼と同じことだけを求め願っているのだから。

瞬には、氷河によって生み出された自分自身の存在よりも、氷河自身の方が不思議なもののように思われた。
彼には、彼の支配する場には、愛情以外の摂理が存在しない。
氷河の周囲は不思議な空間だった。

こんな人をただ一人、“世界”に残して死んでいかなければならなかった“瞬”の苦悩を思い、瞬は胸が張り裂けそうな痛みに襲われた。


瞬の悲しそうな眼差しと沈黙とを、氷河は別の意味に理解したらしい。
彼は、瞬の肩を抱いていた腕にふいに力を込めると、そのまま瞬の身体を自分の胸の上に引き寄せた。

「おまえには肉体を捨て去る儀式は必要ないのか? おまえの身体をこうすることは無意味なのか?」

氷河の手で触れられた瞬間、瞬はぴくんと身体を震わせて、それから拗ねるように身悶えた。

「いや。気持ち良くして」

氷河が、瞬の切なげな訴えに、嬉しそうに微笑する。

「やっぱり、瞬じゃないか」

おそらく“瞬”は、瞬と同じように、氷河に抱きしめてもらうことが好きだったのだろう。
氷河に身体を開かされ、愛される、魂の結合の前の情熱的な儀式。
“瞬”のその気持ちは――“瞬”が氷河を慈しむ気持ちと同様に、瞬にも同感できるものだった。
二人して、ただ同じ一点だけを目指して、互いの身体を絡ませ溶け合わせていくその時間の、期待と快さと歓び――と、予感。


けれど。

(でも、僕は“瞬”じゃない。氷河は僕を好きなわけじゃないの。僕を好きだからこうしてくれるわけじゃないの。きっと氷河は……“瞬”と同じ器を持った人なら、僕じゃなくてもいいんだ。僕は氷河じゃなきゃ嫌なのに、氷河はきっと僕じゃなくてもいいんだ……!)


氷河の愛撫の下で、そう思わずにはいられないことが、瞬は悲しくて仕方がなかった。

(どうして――どうして、僕は瞬じゃないの……!)


自分の中に入ってきた氷河に揺さぶられ、思考を放棄し、肉体の感覚だけに支配され、やがてその支配から抜け出す時が訪れても、瞬の悲しみが消え去ることはなかった。

肉体を捨て去った魂だけの氷河に抱きしめられた時、頂点に達した哀しみと、魂がずたずたに切り裂かれるような痛みとが、瞬に悲鳴をあげさせた。





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