「瞬? 何をしてるんだ?」

氷河が、“仲間たち”のいる世界から、瞬の許に帰ってきた時、瞬は鏡を抱きしめたまま、床に座り込んでいた。

何時間そうしていたのか、瞬自身も憶えていない。
灯りも点いていない室内は、逢魔が時の薄闇に沈み始めていた。


「瞬」

瞬の肩が涙に暮れているのに気付いたらしい氷河が、その手を瞬の肩にのばしてくる。
氷河のその手を振り払い、瞬は氷河に向かって叫んでいた。

「僕は瞬じゃない! 生きてる人間でもない! 僕は鏡の中からここに来て、僕は……僕は何 !?  僕はいったい何なの !?  僕がせめて、瞬の亡霊だったらよかった! 死んでてもいいから、瞬だったらよかった! そしたら、きっと、僕だって、氷河の側にいることがこんなに辛くなかったのに……!」


氷河は、激して訴えてくる瞬を見て、僅かに瞳を見開いた。
瞬を“瞬”だと信じている氷河には、瞬の悲嘆の涙すら意外なものだったのかもしれない。
それが――氷河が自分の痛苦を解してくれないことが――瞬の嘆きをより一層深く激しくした。

「この鏡が割れたら僕は消えるんだ! 僕なんか消えた方がいいんだ! 僕なんかどうせ……どうせ、僕は瞬じゃないんだからっっ !! 」

おそらく、彼にとっては解し難いのだろう瞬の激情をなだめるように穏やかに、氷河が“瞬”の名を呼ぶ。

「瞬」
「瞬じゃないっ!」
「瞬」
「瞬じゃない! 僕はきっと鏡の化け物なんだ!」

「…………」

解することはできなくても、現に瞬が目の前で悲嘆に暮れているのである。
瞬の嘆きを消し去ることが、氷河の務めだった。

氷河は、瞬が持っていた鏡を、瞬の手から取り戻した。
ほんの僅かな時間、まるで思い出を懐かしむかのように氷河はその鏡を見詰めていたが、すぐに彼はその視線を瞬の上に戻した。

「これはただの鏡だ。おまえとの思い出があるから大切なものだったんだが…。だが、まあ、おまえの方が大切だからな」

「え?」

そして、氷河は、瞬に止める間も与えずに、その鏡を床に叩きつけたのである。

瞬は、声にならない叫びを、周囲に響かせた。

絶え難いほどの痛みが、ふいに瞬に襲いかかってくる。
それが肉体的な痛みだったのか、あるいは、心だけのものだったのかの判別は、瞬にはできなかった。



ただ一つの結果だけが、瞬の目の前にあった。

鏡が割れてしまっても、瞬が消えることはなかったのだ。





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