「……瞬」
「なに」
「後悔してるのか?」
「え……?」


それまで、近付く夕暮れを待ちながら、風と、詩句と、そして、氷河の言葉とも、そよぎながら戯れているようだった瞬の意識が、ふいに緊張を取り戻す。


自分を見おろしている氷河の瞳に不安の色を見付けた瞬は、やっと、氷河がこの詩を厭う理由に思い至った。

一瞬、含むような笑みを口許に刻んでから、瞬はまっすぐに氷河の瞳を見詰めた。
そして、静かに、だが、きっぱりと、言った。

「僕は後悔なんかしない」

「しかし――」

その言葉が偽りでないのなら、何故瞬は、よりにもよって今この時、こんな人気の無い場所で、隠れ潜むようにひっそりと、こんな詩を読んでいるのだ。


「後悔する理由がない。僕は氷河が好きだし、氷河が僕を好きでいてくれたことも知った。今日知ったばかりなんだよ。何をどう後悔できるの」
「……」
「どうしてそんな考えが湧いてくるの。僕がさっきまで、氷河の腕の中でどんなだったか忘れたの」

「それは……」

それは、忘れろと言われても忘れられるものではない。
10年が経とうが、その10年が20年になろうが、今日の瞬を自分は決して忘れることはない――それは、氷河にはわかっていた。

だからこそ、納得できないのだ。
ほんの数時間前まで、普段の姿からは想像もできないほど、まるで狂った小さな獣のように、自分を抱きしめ貫く男を貪っていた瞬が、今、この詩に――こんな詩集を手にしている訳が。


氷河のその惑いは、瞬にもわかったらしい。
瞬は、かけていたベンチから立ち上がり、氷河の手から、その詩集をそっと奪い取った。


「僕は、この詩集は幸せすぎて恐い時に読むことにしてるの。苦しいくらい、悲しいくらい、辛いくらい幸せな時にしか読まないの」

「…………」

詩集をテーブルの上に戻すと、瞬の視線は再び氷河の許に帰ってくる。

「彼の詩には、彼の全的な魂の真実の光が凝縮されてる……と、僕は思う。そして、彼が求めていたものは、多分――」

氷河の視線を絡め取り、氷河の腕を絡めとり、そして、瞬は、まるで大切なものを口移しで伝えるようにゆっくりと、その言葉を氷河の唇近くで囁いた。


「“永遠”なんだよ」


その言葉に一瞬ひるんだ氷河に、自分から、そして、最初から深く、口付けていく。
そういうキスがどれほど雄弁なものなのかを、瞬は氷河に教えてもらったばかりだった。





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