「あんなチェーンなんかなくても、俺はおまえに繋がれてるぞ」

瞬は、つい数時間前まで氷河が監禁されていた部屋のベッドの上で突っ伏していた。

その枕元に腰をおろし、氷河は右の手を瞬の髪へとのばしたのだが、彼の手はすぐに瞬によって振り払われた。

「嘘つき!」

瞳に涙をためた瞬に睨みつけられて、氷河はしどろもどろになって、弁解を始めたのである。
「いや、だから、それは、おまえに監禁されてるのもなかなか楽しかったもんだから、おまえが冷静になって俺を解放する気になるまで、もうしばらくはあのままでいた方がいいだろうと……」
「そうじゃなくて!」
「……?」

そのこと以外、瞬に嘘をついた記憶がなかった氷河は、瞬の言葉に眉をひそめた。

「僕に繋がれてなんかいないくせに! シベリアに行って、僕が側にいないこと、楽しんでいるくせに!」
ベッドに突っ伏していた身体を起こし、瞬は氷河を怒鳴りつけた。

氷河は、しかし、たじろぐ様子も見せない。氷河の眼差しや声音は、瞬を苛立たせるほどに穏やかだった。


「俺はシベリアに行って郷愁に浸っていると言わなかったか?」
「言ったよ!」
「俺の故国は日本だと、おまえは言ったぞ」
「…………」

確かに、そう言った記憶はある。
だが、だからそれがどうだというのだ。

「おまえ、郷愁の意味を知ってるか? 異郷にいて、故郷を懐かしく思うことだぞ。シベリアへの郷愁はシベリア以外の場所で感じるものなんだ」
「じゃあ何のために、氷河は、僕を一人にして、シベリアなんかに行っちゃうの!」
「異郷に行って、故郷を懐かしむためだ」
「…………」
「シベリアに行って、おまえのことを思うんだ、俺は」
「…………」

そんなうまい言葉に騙されるものかと、瞬は意識して視線をきつくした。
「嘘つき! 氷河は、僕のこと嫌いになったくせに! やっぱり僕とはただの仲間でいた方がよかったって思ってるくせに! 最初に僕のこと好きだって言ったのは氷河なのに! 氷河がそう言ってくれたから、僕だって勇気出して、氷河を好きって言えたのに! 氷河は僕を自分のものにした途端に、僕に嫌気がさしちゃったんだ…… !! 」

そうでなかったら、ただ郷愁に浸ることが目的だというのなら、シベリアから戻ってきた氷河が、ひと月と間を置かずすぐにシベリアにとって返す理由が、瞬には理解できなかった。
“郷愁”が、そこまで頻繁に人の心を急かすものだとは、瞬にはどうしても思えなかったのである。
そんな納得できない言い訳よりは、見るのも不愉快な人間を避けるため――という理由の方が、ずっと瞬には合点がいった。自分を避けるために、氷河はシベリアヘ逃れていくのだと思うことの方が。

「そうじゃない。いいか、俺はおまえのチェーンを外したんだぞ。星矢の流星拳や紫龍の昇龍覇をよけるのとは意味が違うんだぞ」
「僕の小宇宙が弱まったの」
「おまえの“本気”より、俺の思いの方が強いんだよ」
「……僕から逃げたい…って?」

言葉にした途端、瞬の瞳から涙が一粒零れ落ちる。
瞬は、悲しくてならなかった。
こんな方法でしか氷河を自分の許に引き止めておけないのに、それすらも氷河は容易に擦りぬけてしまうのだという、やりきれない現実が。

「おまえを誰の目にも触れないところに監禁しておきたいのは、本当は俺の方なんだ。少し気が緩むと、本気でおまえを氷づけにしてでも独り占めしようとしてしまうから、たまにおまえから離れて頭を冷やさないと、俺は――」
「もういい。無理して嘘なんかつかないで」
「こんなことで嘘をついて何になる」

瞬の疑念が思った以上に根深いものだということを、氷河はここに至って初めて悟った。
ちょっとした誤解なのだからと、瞬に監禁されることを喜んでいた自分を、今更ながらに反省してみる。

「おまえを俺のものにした途端に後悔したのは事実だぞ。確かに俺は後悔した。こんなに愛しめるものを一度手に入れてしまったら、一生誰かに奪われることを怖れて生きていかなければならないだろうと、俺は思った」
「…………」

「だいたい、おまえ、俺を好きだっていうんなら俺だけ見てればいいものを、俺の気も知らないで、誰にでも愛想振りまきやがって、おまえが俺以外の奴ににこにこ笑ってみせるたび、そいつがおまえに岡惚れしたりするんじゃないかと、俺はいつもはらはらしてるんだぞ! おまえは一人しかいないし、おまえ以外の人間は地球上に何十億と生きてやがるんだから、おまえ以外のバカ共を全員氷づけにして、おまえに何もできないようにするよりだったら、おまえ一人を氷づけにして俺以外の誰も知らないところに隠しちまった方が全然楽だと、俺が考えたって仕方ないことだろーが!」
「…………」

「だが、それをすると、俺自身もおまえに触れなくなるから、必死になって自分をなだめすかして、じっと我慢してきたんだ!」
「あ……あの……氷河……」

「だから、おまえを氷づけにしたくなるたび、俺はシベリアに逃げ込む羽目になって、しかもその間隔が、時間が経つにつれてどんどん狭まってくるし……ったく! わかってるのか、瞬! こう頻繁だとな! 飛行機代だって馬鹿にならないんだぞ!」
「そんなこと言ったって……」

瞬には冗談としか思えない氷河の言葉だったのだが、氷河は本気も本気の大真面目――らしかった。

瞬が唖然としているのを見てとって、氷河が少し語調をやわらげる。
彼は肩から力を抜いて、少々諦めの色の混じった瞳で瞬を見詰めた。

「……まあ、逆効果なんだがな。離れているとますます不安になって、日本に帰ってきた日にはおまえをぼろぼろにしてしまう」
「そ……それであんなに乱暴なのっ !?」

なにしろ、シベリア帰り当日の氷河のそれは恐ろしくハードで、彼は、瞬が気を失っても平気でコトを続けるのだ。
それを、氷河が自分を求めているからではなく、仲間ではない者として彼を縛ることになった自分に氷河が腹を立てているせいなのだと思い込んで、瞬は氷河への疑いを更に深めていったのである。

「だから反省してる」
「………」

信じていいのだろうか――と、瞬は迷った。
初めて『俺はおまえが好きだ』と言ってくれた時の氷河の気持ちと、今の氷河の気持ちとには、何の変わりもないのだということを?

迷いながら、それでも、瞬は氷河を信じたかった。
彼を信じることができたなら、それだけで自分が幸せになれることも、瞬にはわかっていた――のだが。

「だが、だから、おまえにだってわかるだろう。身体だけ縛っておいても不安は消えない」
「どうすればいいの」
「……信じるしかないな」
「そんな! そんな簡単で……難しいこと……」

そうすることができていたなら、そもそも瞬は最初から氷河を監禁するなどという暴挙にはでなかったのである。

「そうだな、簡単で難しい。でも、多分、俺もおまえもそうすることでしか安心はできないんだよ」
「……」



「――と、おまえに監禁されて、俺は悟った」
「氷河……」





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