時はさかのぼり、半年前。

氷河が初めての大奥へのお渡りを途中でやめ、瞬を自分の寝所に連れ込んだのは事実である。
しかし、彼は、瞬を押し倒したりなどしなかった。
突然の出来事に戸惑っている瞬に、彼は、
「嫌なら嫌と申せ、何もせん。ま、その代わり、朝まで共にいろ。俺の面目もあるから」
と言い、瞬はきっぱりと、
「嫌です」
と答えたのである。

瞬はもちろん、お手討ち覚悟だった。
何はともあれ、相手は将軍である。天皇が実権のない存在と化している今、天下で最も強大な権力を有している存在なのだ。
しかし、氷河はあっさりと、
「ん、そうか」
と頷いて、興味深そうに瞬に尋ねてきた。

「嫌なのは何故だ? 俺はこの国でいちばん偉いらしいし、建前上はいちばん金持ちということになっているし、少なくともこの城の中ではいちばんいい男だとも思うが。俺の寵愛を手に入れたら、何でもおねだりのし放題だぞ」

脇息にだらしなく両肘をついて尋ねてくる氷河に、死を覚悟した瞬は居住まいを正し、表情を硬く強張らせて答えた。
「私は、そのようなお仕え方をするために、城にあがったのではありません」
「じゃ、どんな仕え方をしたいんだ?」
「それは……民のために善政を布こうと務める方のお力になれたらと」
「本気でそんなことを思っているのか」
「それが武士の本懐でありましょう」
「そうか。ならば、別の仕え方をしてもらおう」
「は?」

どうやら新将軍は自分を手打ちにするつもりはないらしいと感じて、瞬は少しばかり肩から力を抜いた。
逆に、氷河の方が、脇息に凭れさせていた身体を起こす。
「紀州にいれば、毎日好き勝手にのんびりと暮らしていられたのに、堅苦しい思いをするのを承知で俺が将軍に担ぎ出されてやったのは、将軍にしかできないことをしたかったからなんだ」

氷河の真剣な眼差しに、瞬は全身を緊張させた。
「どのようなことでございますか」

今、徳川宗家は危機的状況にあり、解決しなければならない問題も目白押しだった。
幕藩体制そのものの見直し、腐敗官僚の粛清、赤字財政の建て直し――新将軍がまず手をつけるのはどこからなのかと、瞬は息を呑んで氷河の続く言葉を待ったのだが。
新将軍の口から飛び出てきた言葉は、実にとんでもないシロモノだったのである。

「大奥の解体と」
「えっ !? 」
「暴れん坊将軍ごっこをしたかったからなんだな、これが」
「…………」


正気の沙汰で言っているとも思えない氷河の言葉にどういう反応を示せばいいのかがわからなくて、瞬はとりあえず――絶句した。





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