愛と長崎への旅立ち




日の出桟橋では、赤い髪をした物理学者と金の髪をした壺好きの医学者が、船出の時を待っていました。

ところで、この時代、日本では、鎖国という制度を採っていて、本当は外国人は、特別の許可がない限り、長崎の出島というところから出てはいけないことになっていました。
けれど、あまりにも壺を求める気持ちが強かった金色の髪をした医学者は、友人の物理学者を連れて、内緒で花のお江戸までやってきていたのです。

医学者の名前はミロ、物理学者の名前はカミュといいました。


ここで、ちょっとお勉強タイム。

花のお江戸の時代、日本の国に入ることが許されていた外国人は、中国人と阿蘭陀オランダ人だけでした。
ですから、カミュ物理学者とミロ医学者のふたりは、当然、阿蘭陀人ということになります。

阿蘭陀以外の、ポルトガルやイスパニヤやエゲレスの船が追い払われてしまったにも関わらず、阿蘭陀人が日本に入ることを許されていた理由は、阿蘭陀人たちの目的がキリスト教の布教ではなく貿易だったからです。

阿蘭陀人は、イスパニヤ人やポルトガル人より紅い髪の人が多かったので、南蛮人と区別されて紅毛人とも呼ばれていましたが、そんなことは花のお江戸の庶民たちにはどうでもいい話。
花のお江戸の粋な江戸っ子たちにとっては、見慣れぬ南蛮ファッションを身にまとった異人さんはみんな南蛮人でした。

立襟のついた上着(=ジュバン)、ほっこり膨らんだ脚衣(=カルサン)、そして、風にたなびく派手な色のマント。
そういうのが南蛮ファッションです。

もちろん、カミュ物理学者とミロ医学者もそういう格好をしていました。
特に、そのマントときたら、潮風のきつい桟橋でそんなものを身に着けていたら、風を受けた凧みたいに空に舞い上がってしまうのではないかと思えるほど、長くて大袈裟なものでした。
でもまあ、当人がカッコいいと思って着ているのなら、それは、他人がとやかく言うことではありませんよね。







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