氷河は、数年前に瞬を失っていた。 二人が共に暮していたのは、1年にも満たない短い間。 両親を早くに亡くし、誰からも愛情を与えられずに自分の力だけで生きてきた氷河は、それこそ人を殺していないことに驚かれるような、荒れた生活を続けていたらしい。 それが、瞬に会って彼は変わった。 同じような境遇で、氷河よりもずっと貧しく、氷河よりもずっと力弱く小さな瞬は、しかし、氷河よりもはるかに強かった。 その心だけは。 「どうして、氷河はそんなふうに、誰に対しても噛みついていくみたいな態度をとるの。人は、愛してあげれば愛し返してくれるものだよ」 「親に愛された記憶がないんだ。愛されたことがないのに、愛し方がわかるはずがない」 「そんな悲しいこと言わないで……」 親に置き去りにされた孤児同士――という同じ境遇が、氷河に、妬みや憎しみという感情を抱かせなかったのだろう。氷河は最初から瞬に敵愾心を抱かなかった。 そんな二人が、離れていることを苦痛に思うほどの親しみを互いに感じるようになるまでに、大して時間はかからなかった。 氷河は飢えていたのだから。 生まれた時からずっと、彼は愛情に飢えていたのだから。 その彼の前に、汲み尽くすことのできない無限の泉がふいに現れ、その泉が、次から次へと溢れんばかりに彼に愛情を注いでくれるのである。 瞬の愛情は、地平線が見えるほどの乾いた砂漠をも緑の大地に変えてしまいそうなほど、際限がなかった。 氷河が愛されることを欲していたように、瞬もまた、ずっと自分の愛情を受け入れてくれる相手を求めていたのだから。 「氷河が誰かにひどいことするの、僕、見たくないの。どうして、僕にするみたいに優しくしてあげられないの?」 「氷河が側にいてくれると、僕、嬉しい。部屋が寒くても、ちっとも寒く感じないんだよ」 「困っている人がいたら助けてあげなくちゃ。僕たちは、何があっても二人だから助け合っていけるけど、そんな人を見付けられないでいる、かわいそうな人も多いんだよ」 氷河はそれまでの生活を、すべて瞬の望む通りにがらりと変えた。それは清貧そのものの生活だったが、それでも氷河は、瞬に巡り逢う以前よりもずっと幸福だった。その生活は、愛にだけは飢えることのない生活だったから。 だが、瞬は――瞬の魂は――清らかすぎて、人々の悲しみに満ちた世界に耐えきれなかったのかもしれない。 まだ17にもなっていない若い身体に病を得て、瞬は帰らぬ人になってしまったのである。 その死の床で、瞬は自らが消え失せることではなく、残される者の悲しみに心を痛めていた。 「氷河、氷河。僕、心配なの。僕がいなくなったら、氷河は僕のこと忘れちゃうかもしれない。僕が氷河をどんなに愛していたか忘れちゃうかもしれない。そしてまた、自分を愛してくれる人はいないんだって思い込んで、前みたいに寂しくて一人ぽっちの目をするようになるかもしれない。僕、そんなの嫌なの。そんなの辛くて耐えられない」 「瞬……」 「氷河、約束して。僕が氷河を愛してたことを忘れないで。氷河はもう人の愛し方を知ってるの。人に優しくできるの。僕がいなくなっても、元の悲しい氷河に戻らないで……!」 初めて自分に際限のない愛情を注いでくれた人の、最期の、そして、必死の懇願。 頷き、誓うこと以外、氷河に何ができただろう。 「俺は決しておまえを忘れない。俺はこれからもずっと、おまえの望む通りの俺でいる」 氷河の言葉に安堵したように微笑して、その愛情だけを残し、氷河の無限の泉は、春に降る雪の結晶よりも儚く静かに消えていってしまったのだった。 「瞬……」 氷河は、シュンを既に失った恋人の名で呼んだ。 シュンが側に寄っていくと、眩しそうに目を細めた。 そして、瞳を潤ませた。 |