「僕、そんなに似てるの? 氷河の好きだった人に」
「ああ、そっくりだ」
「どこが?」

「瞬と同じ瞳をしている。哀しそうで、だが、優しい……」

「…………」

そう言って哀しく、そして優しく微笑む人を、堕落させなければならない。
それは、本来人の幸福のために存在する天使には、耐え難い苦痛だった。

兄を救うために。
兄の光輝を取り戻すために。
幾ら自分に言い聞かせても、シュンの胸の痛みは消えなかった。


あの花が欲しい。
あの宝石が欲しい。
仕事なんかしなくていいじゃない。遊びに行こうよ


人を堕落させる術も知らないシュンは、考えに考えて、彼を経済的困窮に追い込むことを思いついた。貧しさが、人の心を荒ませるのではないかと思ったのだ。



氷河の本来の生業は画業だった。

瞬に会う以前は、薬の力も借りて、前衛的で鋭い絵を創作し、相当の評価を受けていたらしい。

それが瞬に出会ってからはがらりと作風を変え、優しい穏やかな具象画に転向した。
彼の作品の価値は下落して、それが困窮の一因にもなったのだが、それでも氷河は幸福だった。
評論家に評価されなくても、街にはそういう絵の方が好む素朴な人々が大勢いたし、なにより瞬が、作品的には価値の減じたその絵を愛してくれていたのだ。




シュンに引き回されて、氷河の仕事の時間は減っていった。
しかし、シュンに出会って取り戻した幸福の時間は、氷河にとっては他の何よりも価値のあるものだったのだろう。

氷河は自分の持っているものを次から次へと売り払い、シュンが望んだものをシュンに手渡して、
「瞬、愛してる」
を繰り返す。

日を追うごとに生活は貧しくなっていくのに、氷河の眼は変わらず幸福に輝き、その瞳には堕落の気配も見えなかった。


シュンは、愛に捕らわれた氷河の魂をどうすれば堕落させられるのかがわからず、わからない自分に焦れた。

早くしないと、それだけ兄の苦しみが増す。
あの暗い闇は、光そのものだった兄にどれほどの苦痛を課すものか。

彼の持てるものを奪い取ることでは、氷河を堕落させることはできない。
それならば、氷河に欲を起こさせればいいのだと、シュンが思いついたのは、彼が氷河に会って半年以上の時が過ぎてからのことだった。





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