氷河を誘惑するのは簡単だった。


「瞬」と呼ばれた時、
「何?」と、微笑しながら小首をかしげればいいのだ。

後はもう、勝手に氷河がシュンを瞬にしてしまう。

彼は、あの夜から、自分の目の前にいる“瞬”が瞬でないことなど、微塵も疑っていないようだった。
シュンという、瞬に似た少年がいたことすら忘れてしまったかのように自然に、ためらいもなく、彼はシュンを瞬と呼ぶ。

シュンの瞳を見詰めるたび、幸福そうな表情を浮かべ、彼はシュンの望むことなら何でも、どんな犠牲を払ってでも叶えてくれた。

家財道具を売り払い、最後には実母を捜す唯一の手掛かりだった形見のロザリオを売り、まもなくアパートを追い出されるところまで追い詰められ、それでも彼は、シュンに――自分を破滅させかけている相手に、
「瞬、愛してるよ」
と、囁き続けるのだ。



それが、どれほどシュンの心を傷付けているのかにも気付かずに。







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