(こいつ、気でも狂ったのか !? )

聖なる夜がもうすぐ訪れる。
幸福な人々でごったがえす街の一角で、待ち合わせの時刻に少し遅れてやってきた氷河の姿を見て、瞬はあきれかえった。

彼は、頭のてっぺんに大きなピンク色のリボンをつけていたのだ。


「瞬、もう俺には何もないんだ。俺自身しか。だから――」

会話が成り立つところをみると、まだ氷河は気が狂ってはいないらしい。

「絵があったじゃない。瞬の絵。あれを僕にちょうだい。それとも氷河は、死んだ瞬の方が僕より大事なの」

しかし、正気でこの格好をしているのだとしたら、それこそ、狂気である。

「それしかないから、持って出たんだが……。アパートの前で会った小さな女の子が、あの絵を見て、欲しいと言って泣くんだ。あの天使の絵が欲しいと。あんまり泣くから、瞬だったらどうするだろうと考えて――」

その先は聞かなくてもわかった。

「あげちゃったの!」

シュンの勝利の証。
何もかもを失った氷河の持っている、唯一価値のあるもの。
母のロザリオを売ってさえ、彼が手放そうとしなかったもの。
それを、行きずりの子供に、彼は大したためらいもなく与えてしまったというのだ。


「……代わりにピンクのリボンをくれた。俺の髪に飾ってくれて、可愛いと言っていた」

シュンは、返す言葉も見付けられなかった。

「俺にはもう、おまえに贈れるものは俺自身しかなくて」

“これ”がプレゼント。

シュンはあっけにとられてしまった。


人の“清らかさ”の、“優しさ”の、“思い遣り”の、なんという愚かさ。
それは、他人の悪意から、自分自身を守ることもできない。

氷河のしていることは、傍から見たら、ただの馬鹿ではないか。

その馬鹿が、自分の愚かさに気付いた様子もなく、いつもの言葉を繰り返す。

「すまない、瞬。愛してるよ」

「…………」

氷河は、既に帰る場所もないはずだった。
聖なる夜を前に、あのアパートからも追い出されたはずだった。

何故、そんなになってまで、死んだ恋人の言いつけを氷河は守り続けるのだろう。
彼にとっては、それほどまでに、瞬と暮らした日々が幸福なものだったのだろうか。
その幸福な時を否定しないためになら、自分自身を破滅させても構わないほどに?



シュンは泣き出してしまいそうだった。

氷河が自分を愛してくれないのなら、
氷河が瞬しか見ていないのなら、
自分が悪魔になるのは簡単なことだと、シュンは思っていた。


それなのに――。





    瞬なら良かった。
    僕が瞬なら良かった。
    兄さん! 兄さん、助けて!

    堕落させなきゃ、
    氷河を堕落させなきゃ、

    僕は兄さんを助けられないのに……!



    僕の魂は、



「瞬、もうどこにも行かないでくれ。俺はおまえがいないと……」



    僕の魂が、




    引き裂かれる……っっ !!







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