寝台に横たわる心のない瞬の身体を、表情もなく見詰める氷河を眺めやり、ハーデスはくすくすと楽しそうに笑った。
「地上を手に入れ損ねたが、余はもっと楽しいものを手に入れた」

氷河が、ぎろりと冥界の王を睨みつける。
しかし、冥王の楽しげな微笑は消えることはなかった。
「アンドロメダの心が帰ってきてくれるのか、そなたは今日も不安。二度と再び、あの白い鳥がこの冥界に戻ってくることはないのではないかと」

「この悪魔め…!」
侮蔑の限りを込めて、氷河はハーデスにその言葉を叩きつけた。
わかってはいたのだが。
その言葉が、そのまま、自分に返されてくることは。

「アンドロメダは、そなたをこそ悪魔だと思っているだろう。アンドロメダから仲間を奪い、肉親を奪い、光ある世界を奪った悪魔はそなたではないか。そなたこそが、アンドロメダに、光を奪う魔法をかけた呪われた悪魔だ」

「…………」

ハーデスの言う通り、だった。
瞬を、この地下界に縛りつけているのは、他ならぬ氷河自身だった。


「その気になれば可能なのだぞ。そなたが自らの命を絶てば、自分のせいで闇に堕ちた仲間を憂えてここを立ち去れずにいるアンドロメダは、自分の身体を捨て去ることができるだろう。少なくとも、心だけは光ある世界に戻れる。アンドロメダの心だけは、もはや余の力をもってしても拘束することはできないのだからな。それとも――アンドロメダも自分の身体に未練があるのかな。そなたに与えられる狂気のような快楽に?」

「瞬を侮辱するな! 瞬はそんなものに溺れる奴じゃない! 瞬は……」
もしハーデスの言う通りだったとしたら、少しは救いもあっただろう。
しかし、瞬がそんな人間ではないことを、氷河はよく知っていた。

「瞬は俺を哀れんでるんだ……。俺が堕ちたのは自分のせいだと責任を感じて、地上に帰れない俺を一人にしないために……」

「その割に毎夜歓んでいるようだが」
「歓んでいるのは瞬の身体だけだ!」
「では、アンドロメダは責任感と哀れみから、我と我が身をそなたに提供しているだけなのか?」

「そうじゃない……と」
そうではないと言えたなら、どれほど氷河の心は癒されることか。
責任感と哀れみだけではない何かが、瞬の心の内にあるのだと言うことができたなら。

しかし――。
そう言えるだけの根拠も理由も、氷河は持ってはいなかった。


氷河が唇を噛みしめたその時。
瞬の――瞬の唇に生気が戻ってきた。

冥界では死んだも同然の瞬の心。
しかし、その肉体は確かに、この闇の世界でも生きている。

「ふふ。今宵も戻って来たようだ。純白の鳥が……黒い羽の鳥になってしまったそなたの許に」

ハーデスの皮肉めいた言葉は、氷河には聞こえていなかった。

瞬が今夜も自分の許に戻ってきてくれた――その事実だけが、今の氷河の心を占めていた。

「瞬……!」

瞬の瞳が開く。
闇の呪いをかけられた純白の鳥。
闇の世界を見ようとしないその瞳には感情のかけらもなく、しかし、心が戻ってきた途端に瞬の身体は生気に満ち始める。

氷河はそれが不思議だった。
死んでいるも同然の心が宿った途端に、薔薇色に染まる瞬の頬――が。





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