しかし、結局、ハーデスは地上支配の野望を阻まれた。

そして、ハーデスの企みを阻止したアテナや星矢たちが地上へ還る時、氷河は冥界に残らざるを得なかったのである。

アテナの聖闘士として、仲間たちと共に地上に帰ることなどできようはずがなかった。

冥界に残ることを強要されたわけではない。
星矢たちに拒絶されたわけでもなかった。

一度、光よりも闇を――地上の平和よりも、自分の心の中にあった闇を――選んでしまった自分が、光だけに包まれている仲間と共に、彼等の光の源のある場所へと戻っていくことなど、氷河には到底できることではなかったのだ。


仲間の許に駆け寄っていこうしていた瞬に、そんな氷河の姿を見せたのはハーデスだった。

『おまえは、おまえのために堕ちた男を、このまま、この地下の国に見捨てて行くのか?』
――冷ややかな声で、彼は瞬に囁いたのだ。


そうして、瞬は――冥界に残った。


氷河の望んだ命。
肉体の生命――と、ハーデスからは独立した意思。
瞬は、この冥界で、贖罪のように、氷河の望んだものを――望んだものだけを――氷河に差し出す。

生き物としての身体と、氷河の選択を責め、彼を拒む――受け入れない――という意思。


だが、それすらも失いたくなくて、氷河は夜毎瞬を抱きしめるのだ。

しかし、その時が過ぎると、瞬の心は、冥界を脱し、兄や仲間のいる地上へと羽ばたいていく。
氷河の前には、命だけがある、心のない抜け殻が横たわり、その抜け殻の前で氷河は怖れ続ける。

もしかしたら今度こそ、瞬の心は己れの身体を放棄して、二度と再び自分の許に帰ってくることはないのではないのかと。



『殺して。僕を殺して。その方が僕は幸せなの』

『僕の命が大切なの? 僕の望みより大切なの?』
 
『そうして、脱け殻の僕を抱くの? 脱け殻の僕は――そう、“命”はあるから暖かいよ……』


それが――瞬の抜け殻が――自分の求めるものではないことは、氷河にもわかっていた。
氷河の求めていたものは、氷河がハーデスに従うことを選んでまで欲したものは、彼の心を優しく包み込む瞬の暖かさだった。


永遠を約束された至福の地、エリシオン。
氷河に抱きしめられ、花が咲くように、香り立つように美しさを増していく瞬。

しかし、その瞬を抱きながら、永遠の至福の地で氷河は気が狂ってしまいそうだった。
氷河の腕の中で、瞬の心は闇に沈んでいく。


今なら、氷河にもわかっていた。
自分が望むべきは、自分に向けられる瞬の優しさなどではなく、瞬の幸せだったのだと。
ただ、それが瞬の死だということだけは、今の氷河にも受け入れ難いことではあったのだが。





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