「ば…馬鹿馬鹿しい。アテナ! この二人をさっさとこの冥界から地上に連れていけ! 余は、手に入れ損なった地上の代わりに、この二人の苦しむ様を見て、我が身の不運を慰めていたのだぞ。それがただ、恋人たちが幸せに酔っている様を見せつけられていただけだったとは! 地上に戻って聖闘士稼業とやらに精を出し、愛を語らう時間を減らしてやった方が、この二人をよほど苦しめられるに違いない。余は、手に入れられなかったものの代償など求めずに、もっと前向きに地上の支配でも企むことにする!」

呪いをかけた者たちと、呪いを解くためにやってきた者たちの間に、ふいに尖った声を割り込ませたのは、この冥界を支配する闇の王だった。
それが、二人の人間の不幸の終焉を祝しての言葉なのか、あるいは憎んでの言葉なのかを測りかねるほど、ハーデスの口調は投げやりだった。

「ハーデス」
ほんの数刻前まで、自分と言葉を交わしてくれる唯一の存在だった者――おそらく、ハーデスにとっても、氷河は同じ存在だったろう――の名を、氷河は口にした。

ハーデスが、まるで自嘲するように、氷河を見る。
「ふん。いい勉強になったぞ。人間というものは、神など及びもつかぬほどにしたたかな生き物だ」

「あ……でも……」

強い人たちに、こんなにも簡単に“罪”を許してもらえたからこそ、これ以上のことを望んではいけないのだと思っていた瞬に、ハーデスの言葉は戸惑いを運んできた。
これ以上のこと――地上に、懐かしい仲間たちのいる場所に帰っていくこと――など、自分に許されてよいはずがないと、瞬は思っていたのだ。

「星矢も紫龍も、あなたたちが帰ってきてくれたら、とても喜ぶと思うわ。彼等を……幸せにしてあげてちょうだい」
瞬の困惑を制するように、沙織が告げる。

彼女の小宇宙のように暖かいその声に、瞬は頷くことしかできなかった。
あの明るく真っ直ぐな瞳を持った仲間たちに自らの罪を知られたくないという弱さを、自分は、仲間たちのために克服しなければならないのだ――と。





【next】