それからの瞬は滅茶苦茶だった。

歓声をあげて階段の手擦りを滑り下りるわ、子供じみた悪戯はしでかすわ、他人の諫言は聞き入れないわ、口答えはするわで、最初は星矢が二人になったようだと苦笑していた紫龍も、徐々に眉をひそめることが多くなってきた。



状況がそうなってしまっては、氷河も、『瞬を傷付けるのが恐い』などという優雅な理由で、瞬を避けているわけにはいかなくなる。

氷河は、毎日あちこち飛びまわって悪さばかりしている瞬を捕まえて、『もう少しおとなしくできないのか』と、瞬に説教する羽目に陥ってしまったのである。
瞬の言動を諌める言葉を吐きながら、瞬に対してそんなことを言っている自分が、氷河には悪夢の登場人物のように思われた。

星矢ならともかく瞬が、
瞬が誰かを諌めるのならともかく瞬自身が、
『行儀良くしろ』と、人に注意されているのである。
これを悪夢と言わずして、何を悪夢と言えるだろう。

しかも、その悪夢は、二段構えの悪夢だった。
他人に注意されたら、神妙に項垂れるものとばかり思っていた瞬は、諫言者にせせら笑いを返してきたである。
「文句があるなら腕づくで黙らせたら? 今なら氷河より僕の方が強いかもしれないよ」
――と。


醒めて欲しい悪夢に、氷河はうんざりしかけていた。
今、氷河の目の前にいるは、彼が好きになった、繊細で誰に対しても同じ優しさを向ける、あの瞬ではなかった。
これは『傷付けるのが恐い』どころか、殴りつけてでも性根を入れ替えてやらなければならない生意気な悪童である。

「きゃんきゃん吼える犬の方が弱い」

「…………」

半ば吐き出すように告げた氷河の言葉に、瞬が一瞬顔を伏せる。

「瞬……?」

その様子を見て、氷河は慌てた。
これは、今まで幾度もあった光景である。
言ってはならないことを全て言葉にしてしまってから、氷河は自分の失言に気付くのだ。
瞬は、そして、そんな氷河を責めることもなく無言でその瞳に涙を浮かべる――のが常だった。
幼い頃から。
つい数日前までは。

しかし、今の瞬は、氷河の知っている瞬でもなければ、彼が好きになった瞬でもない。
瞬が伏せていた顔をあげた時、その瞳の中にあったものは、不遜としか言いようのない挑戦的な色と光だった。

「それって、恐くて僕とは闘えないってこと?」
「あのなぁ、瞬……」

もはやお手上げ、処置無しの気分である。
氷河は言葉を続ける気にもならなかった。

匙を投げただけの氷河を、『やりこめた』と誤解したのか、瞬が、勝ち誇ったように肩で風を切って、その場から立ち去る。


ちょうど入れ替わるように室内に入ってきた紫龍が、
「何かあったのか? 瞬が泣いていたようだが」
と氷河に尋ねてきたが、氷河は紫龍の“見たもの”を、天から信じようとはしなかった。





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