「……おまえが最低な人間だったら、そんなおまえを好きになった俺はどうなるんだ」


一生瞬には告げまいと思っていた言葉を、氷河は口にせずにはいられなかった。
瞬が、それ以上傷付くことを阻むために。

我儘でも無神経でもじゃじゃ馬でもいい。
氷河が望むことは、『瞬が傷付かないこと』だけだった。
それだけだったのだ。

瞬が、氷河のその言葉に、涙の膜がかかっているような瞳を見開く。
そして、彼は、自分自身を軽蔑するような口調で尋ねてきた。

「なんで僕なんかを好きになれるの」

氷河は、瞬に、自分自身を貶めるのをやめてほしかった。
瞬に傷付かないでいてほしかった。
その望みの前では、どんな秘密も価値を失い、その望みの前では、どんな禁忌も力を持たない。


一生告げずにいようと思っていた、大切な秘密。
その秘密を、氷河は瞬のために、瞬の前にさらけだした。

それは、
「おまえは優しいから」
――という、誰もが知っている秘密だったのだが。

「傷付きやすかったり弱かったりすることと、優しいってことは別物だよ」

「ああ。別物だ」
「…………」

瞬は気付いていなかったのだろうか。
自分が優しい人間だということを。

そして、瞬は知らなかったのだろうか。
その優しさ故に、自分が強い人間なのだということも?


『おまえは優しい』と言われて不思議そうな顔をする瞬が、氷河は切なかった。
そして、愛しかった。
その思いは、彼自身にも抑えることのできない強い“思い”で、抑えることは不可能なのだということを、氷河は今この瞬間に思い知った。

「おまえは、ガキの頃、俺たちが怪我をするといつもいちばんに駆け寄ってきて、手当てをしてくれた。血が嫌いなのに。怖がってさえいたのに」

「そ……そんなことくらいで……」
「おまえには“そんなこと”なのかもしれない。だが、俺たちには――俺には――」

それがどれほどの癒しだったことか。
瞬が側にいてくれるだけのことで、どれほど痛みが和らいだことか。

瞬は、やはり気付いてもいなかったのだろう。

「氷河……」

瞬にとって、それは、“そんなこと”でしかなかったのだ。
“そんなこと”のために、氷河は自分の人生を決めてしまっていたというのに。

「俺は――おまえを傷付けるのが怖い。おまえを悲しませるのが怖い。それで、俺も傷付くから。人と人が共に存在するってことは、そういうことなのかもしれないな。人はいつもお互いにお互いを傷付け合うばかりで――」

「氷河……」

瞬が、また、あの切なく哀しい小動物の瞳になる。

「だが、だからと言って離れてしまったら……人は孤独で死んでしまうだろう」

「…………」


秘密は、秘密ではなくなったのである。
そして、“そんなこと”もまた、“そんなこと”ではない。

「悪かった。俺が弱すぎたな」

少なくとも、氷河にとって、それは、瞬と同様に傷付きやすく無力な自分の心を癒し、支えてくれる大切な思い出だった。


「おまえを守ろうとして、俺はこれからもおまえを傷付けてしまうかもしれない。それでも――」

「それでも、僕が望んだら、氷河は僕の側にいてくれる?」

「瞬……」

瞬がそれを望んでくれたら――。
瞬がそれを望んでくれることを、氷河こそがどれほど望んでいただろう。

たとえそれで自分自身が傷付くことになろうとも、誰かと共に存在することを望む心が――望むことのできる心が――人を強くしていくのである。
そして、それを望めるということこそが“強い”ということなのだろう。





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