シュンはそれからベルサイユへは帰らなかったのである。 愛することと愛されることに夢中になって。 シュンはヒョウガの任務と兄の秘密を、ヒョウガの胸で聞いた。 兄が、貴族というその身分にも関わらず、熱烈な共和主義者であること。 パリのあの家で、革命運動家たちのための新聞の地下出版を行っていること。 この国の現状と未来を憂えている兄の同志たちが、あの家を集会所の一つにしていること。 そして、兄が王家の転覆を企てていること。 ヒョウガが、その活動の様子を探り出すために、パリの街に出てきていたこと。 「兄さんが僕をあの家から遠ざけようとしたのは、へたをすると反逆罪に問われる活動に、僕を巻き込みたくなかったからなの……」 兄が自分にベルサイユへの伺候を勧めたのは、決して兄が自分を嫌ったからでも遠ざけようとしたからでもないこと。 「兄さんは、僕より大切な人ができたのじゃなく、新しく作りたい世界ができただけだったの。飢えている人たちを救いたかっただけだったんだね」 「それなりに悩んだと思うぞ。おまえは王たちのお気に入りだ。おまえの兄の考えていることは、おまえが何不自由なく暮らしていける宮廷生活を打倒しようという企てで――おまえの身の振りを考えたなら、今の王家と宮廷は存続した方がいいんだからな。おまえは――おまえの兄の中の矛盾だったろう」 「言ってくれたら、僕は宮廷勤めなんてすぐに辞めたのに」 「そうしたら、俺には会えなかった」 「……それは嫌」 ヒョウガに腕を絡みつかせて、シュンは彼に口付けを求めた。 「その世界には焼きもちを焼かないのか」 「以前の僕なら兄さんに迫っていたかもしれない。その世界を捨てて、僕だけを見て……って」 「今は?」 「ヒョウガが兄さんの倒すべき敵じゃなくて良かったと思ってる。ヒョウガが外国人でよかった」 求めた以上に深い口付けを与えられて、満足そうに喘ぎに似た溜め息を洩らすシュンに、ヒョウガは少し真顔になって尋ねた。 「俺と兄のどちらかを選べと言われたら、おまえはどうする?」 「……ヒョウガ?」 それまでヒョウガの腕の中で、自由な猫のようにしなやかだったシュンの肢体が一瞬強張る。 それは、シュンが以前、兄や兄以外の者たちに求めていたことだった。 その選択を迫られたとしても、シュンにはヒョウガを責めることはできない。 「言わない。言いはしないが……」 ヒョウガも、勿論、本気でそんなことをシュンに求めるつもりはなかった。 「パリはひどい。飢えている者だらけで、皆、殺気だっている。我が国の農奴たちと違って、忍耐を知らない市民たちが武装蜂起を企ててもおかしくはない」 「……」 「我が国の農奴たちとて、あまり恵まれた暮らしをしているとは言い難いが……。しかし、我が国では農奴たちへの教育が行き届いていないから、彼等は自分たちの境遇を当然のものとして受け止めるようにできているんだ。しかし、この国は違う。農民たちは我が国の農奴と大して違わないだろうが、豊かになったブルジョア平民たちは自分たちの権利を拡充したいと望んでいるし、市民たちの中にはある程度の教育を受けた者も多い。ロシアより進んだ文化が、この国に争乱の危機を招いている」 ベッドの上で、そんなきな臭い話は、ヒョウガもしたくなかった。 が、それは、場所はどこであれ、いつかはしなければならない話でもあった。 「この国に争乱が起きた時、おまえに安全な場所にいてほしいんだ。その時には、ロシアに来て欲しい。この国にはまもなく嵐が来る。おまえの兄たちの計画は実行に移されるだろう。ブルボン王家はもって1年の命だ。あの人の好いのだけが取りえの不明な国王では」 「ヒョウガ……」 シュンの兄たちが何事かを起こそうとしなくても、この国がその嵐を免れえるはずがないことは、既にヒョウガの目には火を見るより明らかなことに映っていた。 |