シュンがヒョウガと共に兄のところへ向かったのは、ヒョウガの屋敷の雇い人たちの解雇と帰国の措置を全て済ませてからだった。

バスティーユ襲撃で、一度は革命運動家たちの制御を離れた市民たちの憤怒も少しは和らいだのか、パリの街は緊張をはらみながらも一応は平穏を保っていた。
無論、その平穏は一時的なものだったろう。
飢えることへの不安が、彼等の生活から取り除かれたわけではないのだから。

シュンの無事な姿を見たシュンの兄は、彼にしては珍しく、はっきりと安堵の表情をその顔に浮かべた。
それは、確実に進行している革命を喜ぶ革命家の顔ではなく、ただ一人の弟の身を案じる兄の顔だった。

シュンが何事かを言う前に、彼はシュンに告げた。

「金は用意してある。一刻も早くこの国を出ろ。フランスにはこれから大きな嵐がくる。どこか安全なところで、嵐の過ぎるのを待っていろ」

それは、その嵐を起こそうとしている――起こしつつある――者の言う言葉だろうか。
自分の言葉の矛盾は、瞬の兄自身も自覚してはいるようだった。

「僕は兄さんの側にいたいんです。自分の国が嵐に見舞われることがわかっているのに、そこから逃げ出すようなことはできません。兄さんとは違うかもしれませんが、僕だって僕なりに祖国を愛しているし、憂えてもいる」

「おまえには安全な場所にいてほしいんだ」
「……」

矛盾。
それは、シュンがヒョウガに抱いた気持ちと同じだった。


側にいたい。
側にいてほしい。
それが叶うことで、自分は幸福になれる。
孤独が癒される。


だが、それ以上に。
自分の心以上に大切なその人に、安全な場所にいてほしいのだ。
それで自分の心が孤独に苦しむことになっても。
それが何だというのだろう――!


シュンは素っ気ない兄の言葉に、涙が込み上げてきた。

兄は確かに、自分を愛してくれていたのだ。
独占することばかりを考えて、兄を愛してはいなかった弟を。

「僕が……安全な場所にいた方が、兄さんは後顧の憂いなく動けるのですか」
「そうだ」
「では、僕はヒョウガと共にロシアに向かいます」
「ああ、あそこなら安全だ。あの国は安定している……。あの国で我が国のようなことが起こるのは何十年も先のことだろう。少なくとも、おまえが生きている間は安定しているはずだ」

世界を見ているようで――世界を見る一方で――彼は、シュンの身を案じている。
彼は、全人類の罪を贖うために母をさえ捨てたイエス・キリストにはなりきれていないのだ。






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