「瞬、おまえ、俺を哀れだとは思わんか?」

突然、雪と氷の聖闘士にそう言われ、瞬は首をかしげたのである。

「え?」

彼――氷河――の言う『哀れ』の意味がわからず、それ故に否とも応とも答えられずにいる瞬に、クールで寡黙なその男は、自分がいかに『哀れ』なのかを滔々と語り始めた。

「ああ、無論、両親を亡くしてるのは俺だけじゃない。しかしだ、なまじ物心がつくまで母親と一緒に暮らしていた思い出があるだけに、母親を失った時の俺の衝撃はこの歳に至るまで癒されることなくトラウマとして心に残ることになったんだ。いー歳をして『マーママーマ』と繰り返したあげく、海の底に眠る母親にバラの花を捧げては涙してるなんて、哀れの極みだろう」
「あ…あの……」

「おまけに修行の地が東シベリアなんて辺鄙なところで、電車はもちろんバスも通っていない、いちばん近所のスーパーに行くのに3日がかり、テレビもなけりゃ本屋もない。流行りの服なんて着たこともないから、真っ赤なレッグ・ウォーマーなんてつけて平気でいるし、寒暖を超越した寒いところでの生活に慣れちまったせいで、冬でも夏でもノースリーブ、この美貌と気品がなかったら、俺はただのバカだぞ、バカ」
「バ……そ…そんなことは誰も……。それに、スーパーならアンドロメダ島にもなか……」

「それでなくてもマザコンの何のと言われて、修行地では師と二人きり、この師匠がまたろくに口をきかない面倒くさがりなヤツで、一日に二、三度会話が成立すればましな方、それが普通と思っていた俺は、日本に戻ってきたばかりの頃は日本語も忘れてかけていたし、そのせいで星矢や紫龍たちには自閉症の疑いまでかけられて、えらい目にあった」
「でも、それはすぐに誤解だってわかっ……」

「そんな俺を、心優しいおまえは気の毒だと思ったはずだ! そうだな、瞬?」

「…………」

ここで、『そんなことないよ』と言う勇気(?)は、瞬にはなかった。
氷河の声音には、瞬に反駁を許さない迫力があったのだ。

「そ…そうだね。思わないこともなかったかな……?」

「うむ、そうだろう」
氷河は、瞬の返答に満足そうに頷いて、言葉を続けた。

「おまえならそう思うはずだ。なにしろ、おまえは、繊細でデリケートな上、寛大で優しい寛恕の聖闘士ということで通っているんだから」
「僕はそんなに良く出来た人間じゃな……」
「良く出来た人間なんだ。でないと俺が困る」
瞬の謙遜の美徳の表明を、氷河はあっさりと遮った。

「こ…困るって?」
瞬の疑念は至極尤も。

「俺はおまえに惚れてるんだ。惚れたからには当然俺のものにしたい。おまえに優しくしてもらいたいし、冷たくされたくもない」
「…………」
それは言葉の意味だけを捉えれば全く理路整然とした(?)言い分ではあったが、瞬には寝耳に水のことでもあった。

だいいち、瞬は数日前にアンドロメダ島から日本に帰ってきたばかりなのである。
それで惚れたはれたと言われても、にわかには信じ難い。
即座に『はい、そうですか』と答えられるわけもない。

が、氷河は、瞬の戸惑いなど意に介した様子を全く見せなかった。

「おまえは、あの暑苦しいツラの一輝を『にーさんにーさん』と慕っているところから察するに面食いじゃない。星矢なんかと一緒に球蹴りなんぞして楽しそうにしていたところから察すると、頭のいい奴が好みのタイプなわけでもないらしい。露出狂の紫龍とも平和にやってるから、良識のあることを美点と思う人間でもなさそうだ」

「…………」
それは、反駁の難しい主張ではあった。
兄にも星矢にも紫龍にも、氷河が言うところの短所を補ってあまりある長所があるのだと言うことはたやすいが、それでは兄や友人たちの欠点を認めたことになってしまう。

「となると、俺の美貌も知性も良識も、おまえには魅力として映らないということになる」

「りょ……良識……?」
瞬は、思わず室内を見回して、辞書を探してしまった。
無論、城戸邸のラウンジに、そんなものが転がっているはずもなかったが。

仕方なく室内に泳がせた視線を氷河の上に戻した瞬に、氷河は、得意そうに言い募った。
「だから、俺はおまえの同情を引くことを考えたんだ。利口だろう?」

「…………」
何と答えたものやら、言葉が出てこない。

「とにかく、そういう訳だから、おまえは俺の気の毒な境遇に同情して、俺に優しくするように! 何事においても俺の気持ちを優先させ、そして、すみやかに俺に惚れること! 一輝のことなんか考えてやる必要はない!」

「あ……あの、氷河……」
「ああ、それから、俺は2、3日中におまえとキスをして、1週間以内におまえと寝るつもりだから、心の準備もしておけ」

瞬には全く理解できない言葉の羅列を、寡黙でクールな氷の聖闘士は、
「以上だ」
の一言で勝手に終わらせ、そして、さっさとラウンジを出ていってしまった。


瞬と、それまでひたすらあっけにとられているばかりだった星矢と紫龍の三人を、その場に残して。






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