「どうして、あいつは踊らないんだ」 それまで、それでも主宰と呼んでいた氷河を、俺が“あいつ”呼ばわりしだしたのは、圧倒的な力の差を思い知らされたからだった。 「どうして踊らないんだ。俺よりずっと上手い。いや、上手いだけじゃなく……」 上手いだけでなく、作品と振り付けの意味を完全に理解している。 踊れなくなった俺に、瞬はすぐ気付いたようだった。 翌日の稽古が終ると、瞬は帰宅しようとした俺を呼びとめ、稽古場のラウンジに誘った。 テーブルをはさんで瞬と対峙した俺は、瞬が口を開くより先に、自分の疑念を口にした。 「あなたは踊りたくないの? この舞踊団の公演で主演を務めきったら、それだけで相当の評価を得られると思うし……ううん、そんなことより、この作品、踊りたいと思わない?」 「…………」 それは思う。 これは古典への挑戦、20世紀のモダンに対する現代の挑戦、画期的な作品になるだろうことはわかっている。 ――作品を完璧に理解したダンサーが踊るのなら。 「抜擢したのは氷河だし、僕もあなたならと思って賛成したの」 「だが、俺なんかよりずっと、あいつの方が……」 ずっと、瞬の意図を理解している。 「この作品をより良い作品にしようと思ったら……」 あいつが“青年”を踊った方がいいに決まっている。 「……氷河は忙しいから」 「そういう問題じゃない。企画や宣伝の仕事はあいつでなくてもできる。だが、これを完璧に踊れるのは、あいつだけだ」 「そんなことないよ。氷河は……踊れないの」 踊れないはずがない。 実際に昨日、あいつは俺たちの前で踊ってみせたじゃないか! ――と、俺が、自分のやりきれなさを言葉にしかけた時。 「瞬」 当の本人が、ラウンジに入ってきた。 「なに?」 「おまえが、俺以外の奴と二人きりで長く話し込んでいるのは不愉快なんだが」 「踊りの解釈の話だよ」 「それでも不愉快だ」 「じゃあ、同席して」 「この下手くそとか」 返す言葉もなかった俺にできたのは、挑戦的に氷河を睨みつけることだけだった。 「抜擢したのは氷河じゃない」 「我儘で馬鹿そうなところが俺に似ていると思ったからだ。練習期間が半年もあれば、少しは利口になるかと思ったが、こいつは馬鹿のままじゃないか。期待外れもいいところだ」 「なら、貴様が踊ればいい」 圧倒的な技量の差を見せつけられて、俺はやけになっていたのかもしれない。 「俺を貴様呼ばわりとは、貴様も偉くなったもんだ。俺はこの舞踊団の主宰者で、おまえの雇い主だぞ」 「似たような歳じゃないか」 「そういうことを言ってるんじゃない」 俺も、そういうことを言っているのではなかった。 踊れるのに踊らないダンサーに、俺は憤っていたのだ。 |