「へ……?」

それは、沙織が持ちかけてくる仕事にしては、実にまっとうマトモな仕事だった。
少なくとも、リリィちゃん退治と違って、その仕事は普通の人間が従事する仕事である。

しかし、その仕事をマトモなものと感じるのは、あくまでリリィちゃん退治と比べた場合のことだった。


「冗談じゃない! 瞬を見世物になどできるかっ !! 」
最初に反駁の狼煙をあげたのは氷河と一輝だった。

「ちゃらちゃら今時の服なんか着て、へらへらしてなんかいたくねーぞ、俺は」
「沙織さん、我々は地上の平和を守ることを至上義務とするアテナの聖闘士なんですよ!」
続いて、星矢と紫龍。

そして最後に、瞬が、
「モデルって、甘いものが食べられないお仕事なんでしょう?」
と、少々とんちんかんな不安を口にした。


しかし、沙織は、彼女の聖闘士たちの反駁を、余裕の笑みで一蹴した。

「安心なさい、一輝、氷河。瞬を衆目にさらすようなことはしないわ。瞬を見るのは、グラード財団の研究所員だけよ」
「なに?」 × 2

「星矢、ちゃらちゃらした今時の服をあなたに着せようなんてこと、私が考えるはずないでしょう」
「え? だって、モデルだろ?」

「紫龍、もちろん、この仕事は、アテナの聖闘士にふさわしい、地上の平和に役立つ仕事よ」
「それは、いったい……」

「瞬、お望みとあらば、毎日仕事場にホールのケーキを差し入れてあげるわよ」
「えっ、ほんとですかっ !? 」

沙織の言葉に瞳を輝かせる瞬に、他の4人は危険なものを感じていた。
瞬も、もちろん、すぐにケーキの誘惑になど乗っている場合ではないのだと思い直した。
そんな聖闘士たちの危惧など、しかし、沙織には何の影響も脅威も与えない。
この時点で、青銅聖闘士たちは完全に受け身だった。


「モデルというのは他でもない、グラード環境科学研究所での、閉鎖空間での生活実験モデルなの」
「生活実験モデル……?」

星矢たちは、聞きなれない沙織の言葉に、怪訝そうに眉をしかめた。

「ええ、そうよ。リリィちゃん撲滅という人類の悲願が達成されたら、次に人類が目指すのは、宇宙進出でしょう」

「…………」
地に足をつけて生きている人間には、ついていくのが難しい論理の飛躍である。

しかし、沙織の足は、地を突き抜けて、地球の裏側の宇宙空間にまで達していた。
「グラード環境科学研究所では、今、人類が月や火星に住む時に備えて、閉鎖空間で人類が生きていく際の様々な実験を行なっているの。その被験者になってもらいたいのよ」

「わ…我々に何をしろと……」
紫龍の声は、嫌な予感に震えていた。

「だから、閉じられた空間で、外部との接触を遮断した状態で数ヶ月間、あなた方だけで生活してほしいの。そういう場所で人体が受ける精神・肉体の変化をデータとして採取したいのよ」
「……つまり、我々にモルモットになれと言うわけですか」
「コックローチ・バスターズの方がよくって? 私はもちろん、どちらでも構わないわよ」

「…………」
既に、青銅聖闘士たちの選択肢から『これまで通りの平穏な闘いの日々』は除外されていた。

「これは人類の発展のために有意義な研究よ。この実験が成功して、人類が地球の重力の束縛から逃れることができれば、人口問題が解決し、地球温暖化問題の解決の糸口にもなるでしょう。宇宙進出はまだ先のことだとしても、たとえば人の住めない砂漠地帯や極寒地帯にコロニーを作ることもできるわ。人類の生活圏が広がれば、マイホーム問題だって簡単に解決よ」

随分卑近かつ卑俗な世界の平和である。

「リリィちゃん撲滅も世界平和の役には立つけど、この実験には、人類の未来がかかっているのよ。人類の繁栄と平和に直結する、とても意義のある実験なの」

青銅聖闘士たちが選べる道はただ二つ。

「敵と闘うこともなく、リリィちゃんと相対することもない、平和で呑気なお仕事よ。一通りの生活を営める程度の施設の中で、好き勝手に暮らしていてくれればいいの。食料から娯楽用品まで、すべて準備されている快適なホテルから―― 一歩も外に出られないだけのことよ」

リリィちゃん退治をするか、モルモットになるか、である。


その二つを比較した場合、“普通の”人間はどちらを選ぶものだろうか。

5人の青銅聖闘士たちの選択は、とりあえず、
「リリィちゃん退治や、世間の見世物になるよりはマシか」
――だった。






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