かくして、5人の青銅聖闘士たちは、グラード環境科学研究所内に設えられた閉じられた空間での生活に挑むことになったのである。 実験場の敷地は、城戸邸と大して変わらない程の広さがあった。 居住区には、人数分の個室が用意され、日常生活に支障のない設備が整えられている。 城戸邸と違うのは、その施設全体が、核弾頭でも破壊できない特殊合金に覆われており、施設全体を観察できるように、ありとあらゆる場所に超小型カメラが設置されていること。 そして、居住区以外の部分が植物園になっていることくらいだった。 もちろん、酸素を得るためであるが、万一、植物の作り出す酸素量が足りなくなった時には、グラード環境科学研究所が発案・特許申請中の酸素再生装置が稼働することになるという。 施設を覆うドーム型天井は全体がスクリーンになっており、時間の経過に合わせて、色調の変わる空が映し出される。 そうと知らされていなければ、閉鎖空間にいるとは気付かないかもしれないほど、施設の窓の外に広がる景色は自然そのものだった。 5人がまず案内されたのは、研究所内にある医療施設。 そこで、彼等は、超小型の脳波、心拍数、血圧等の測定器をつけられることになったのである。 「あなた方の身体の状態は監視カメラと、各種測定器で常時チェックされることになるわ。少しでも測定器に異常値が認められたら、施設内にくまなく設置された監視カメラや集音マイクで状況を確認して、トラブルと認められた場合にはすぐに実験からは外れてもらうことになっているから、安心していてね」 研究所内の医師たちを背後に従えて、沙織は、もしこの場にフローレンス・ナイチンゲールがいたならば、そのような笑みを浮かべたに違いないと思えるような微笑と眼差しとを、彼女の聖闘士たちに向けた。 のだが。 「ちょっと待て」 そのナイチンゲールの笑みに、氷河が突如顔をひきつらせる。 「心拍数や脳波の測定器……というのは、少し興奮したり、激しい運動をしただけでも、それがすぐに所員にわかってしまうということか」 「ええ。ほんの些細な異常でも、すぐに近場のカメラやマイクを通じて、所員のチェックが入るわ。だから、安心していていいのよ」 「…………」 沙織の説明は、到底氷河を安心させるようなものではなかった。 「どうしたの? その方が安心じゃない。こちらから外部への連絡はできないそうだから、少しの異変にも気付いてもらえた方が――」 そして、瞬のその言葉も、更に氷河を苦らせるだけのものだった。 「できない……」 「え?」 氷河がぼそりと呟く。 きょとんとした顔の瞬をちらりと横目で見やり、それから氷河は沙織に向き直った。 「悪いが、この仕事、俺は降ろさせてもらう。瞬もだ」 「氷河! でも、リリィちゃん退治なんて、僕、嫌だよ!」 「俺は平気だが、おまえが困るだろう、こんな実験は」 「どうして?」 「…………」 これはいちいち説明を要することだろうか。 瞬の反問に、氷河は僅かばかりの苛立ちを覚えた。 「少し興奮しただけで監視カメラでチェックされるんだぞ。部屋の全てに集音マイクが設置されているんだ」 「……それが?」 「だから××がっ! できないだろーがっ! 俺は、それっくらいなら、リリィちゃん退治の方がまだずっとマシだっ !! 」 「あ……」 氷河の怒声に、瞬がどう反応すべきかを迷った、その一瞬の間を突いて、 「あら、私たちは構わなくてよ。どんどんやっていただいて。興味深いデータが採れそうだわ」 ――という、沙織の寛大な(?)お許しが降ってくる。 「…………」 瞬は。 瞬は、一応、悩んだのである。 リリィちゃん退治と、××無しの閉鎖空間での生活と、あるいは自分たちの××をグラードの研究所員たちに科学的に分析されることを比較して、約5秒間も。 深慮熟考の末に、瞬は、真剣この上ない眼差しでもって、自らの出した答えを氷河に告げた。 「氷河、この実験モデルの仕事は人類の平和に役立つことなんだよ。リリィちゃんの命を奪ったりすることより、ずっとやり甲斐のある仕事だと、僕は思う」 「しっ……しかし、おまえは、じゃあ、衆人監視の中でしても構わないというのか、あれをっ !? 」 「しなきゃいいだけのことじゃない」 あっさり。 「おまえ……俺に死ねというのか……」 オーロラ・エクスキューションを300発受ける以上のダメージを、氷河は、愛する瞬によって与えられてしまっていた。 そんな二人のやりとりに、沙織が、横から、実に楽しそうに口を挟んでくる。 「死にそうになったら、実験は中止するわよ。大切なあなたたちに命の危険を冒させたりなんかできるはずないでしょう」 「…………」 これまで散々、彼女の聖闘士たちを死地も同然の場に赴かせ続けてきたアテナのその言葉に、氷河は信頼性の『し』の字を感じることもできなかった。 「それに――」 沙織が、苦悩の氷河を見て、にやりと笑う。 「本当に死にそうになるか、見てみたいわ」 「…………」 女神とも思えない沙織の皮肉かつ挑戦的な笑みに、氷河は一瞬間ひるんだ。 それは、確かに、氷河にとっても未知の領域ではあったのだ。 いずれにしても、リリィちゃんは、瞬にとっては鬼門だった。 できうる限り、関わり合いを持ちたくない存在だった。 結局、氷河は、そういうわけで、瞬に背中を押される格好で、これから数ヶ月間を過ごすことになる東京ドームもどきの中に足を踏み入れることになったのである。 |