のだが。

そのやりとりのあった2時間後、ふらりと瞬の部屋に戻ってきた氷河は、淡々とした口調で、
「南半球に行けば、来週皆既月食を見ることができるようだ」
と、瞬に言ってきたのである。

「…………」
瞬は、氷河のその言葉に目を剥いた。

『そもそも中秋の名月というものは、空が澄んで月の高度も程良い秋の満月を、農作物の実りに感謝しつつ祝うのを主眼とするイベントだぞ。それと、人間の思惟に全く無関係な天体運動を同列に並べて語るというのは、論理の飛躍もいいところで、おまえはいつも思いつきだけでそういうことを言い出すから、俺が苦労することになるんだ、云々』
と散々まくしたてた、ほんの2時間後に、
「位置的に、インド洋の赤道付近が観測にいいらしい。アンドロメダ島のあったところから南に80キロほど行ったところに、小さな有人の島がある。明日出掛けるから準備しておけ」
と言ってくる氷河に、瞬は言葉を失ったのである。


氷河は、無思慮な我儘をたしなめるために、わざとそんなことを言い出したのか。
それとも、そんな我儘すら叶えてくれるほど甘い男だったのか。

瞬には、そのどちらもが五分五分の割合でありえることに思え、それ故、判断に迷った。

「氷河、もしかして、僕が馬鹿なこと言ったの怒ってる?」
恐る恐る尋ねた瞬に、氷河は、
「俺はおまえを愛しているぞ」
と真顔で答えを返してきた。

「…………」

これは、愛ゆえの諫言か、はたまた愛ゆえの甘言か。
氷河の真意を、彼の表情から読み取ることは不可能だった。
そして、瞬は、やがて、氷河の狙いがそのどちらなのかを考えることをやめてしまったのである。

瞬の中にも、『無思慮な我儘は言うものではない』という反省と、『氷河と二人きりで南の島に旅行に行ける』という、浮き浮きした気分とがあったのだ。

矛盾する二つの心を抱えて、瞬は、氷河に笑って頷いた。
「氷河と一緒に、南の島で月食観測なんて、粋の極みだね」

氷河は、やはり真意の読み取りにくい、薄い、だが、決して冷ややかではない微笑を口許に刻んでみせた。






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