「氷河だったらどうする?」 瞬が、氷河の背に細い腕を絡めるようにして尋ねてくる。 氷河を見上げる瞬の目には、からかうような笑みの色が混じっている。 氷河が独占欲の強い男だということを、瞬は知らないわけではないのだ。 「氷河は暗殺者の刃を受けて、死にかけているの。すぐ側に、青ざめた頬の妻がいて、勝気そうな眉を、今にも泣き崩れんばかりに歪めている。おまけに、時の世界の権力者であるローマ皇帝が彼女に懸想していて、このまま死んでしまったら、いくら男勝りと言われていたって、ただ一人の頼れる者を失った妻は、ローマ皇帝のものにされるに決まっている」 瞬は、氷河の妬いている男を氷河に見立てて、氷河の焼きもちを回避しようとしているのか、助長しようとしているのか――。 氷河自身にも、自分がどう反応すべきなのかがわからなかった。 「……死ぬに死ねないな」 「でも、もう氷河の命の火は消えかけている。そして、妻には生きていてほしい」 「そうだな。俺なら、生きる目的をおまえに与える。おまえを付け狙う男に敵対するような生きる目的を」 「そう。同じことを、オデナイトもゼノビアに言ったの」 『愛している。そなたが他の男のものになることなど、私には死よりも受け入れ難い。ローマに屈するな。ローマの穀倉エジプトさえ奪ってしまえば、あの帝国は瓦解する。私とそなたとで築いてきた、この美しいパルミラを、ローマの軍靴に踏みにじらせるな』 「夫の遺言を守って、彼女は大国ローマと戦うことを決意したんだよ」 「……まるで見てきたような口振りだな」 それは瞬の空想なのか、あるいは、遺跡が瞬に見せた夢なのか。 氷河が薄く笑ったのは、瞬の言葉を他愛のない空想の産物と思ったからではなく――同じ力を持つ者の魂や心は、時を隔てても響き合うものなのかもしれないと思ったからだった。 だが、今、瞬と響き合うべき相手は、悠久の過去の女王などではない。 氷河は、笑って、瞬を貫いた。 瞬が言葉を奪われる。 ゼノビアは、その夜はもう、ふたりの許には降りてこなかった。 |