「氷河」

瞬は、ゼノビアを『哀れ』と評した氷河に、なじるように尋ねてきた。
「氷河なら――今の氷河なら、あの時、何て言ったの」
その言葉には、過去と現在とが混在している。

「今の俺は――おまえを衆人のさらしものにするくらいなら、最初からローマの軍門に降れと――」

「それで、僕はアウレリウスのものにされて、平穏に一生を過ごすの! それなら、僕は哀れじゃないって言うの…… !? 」

「瞬」


そこにいるのは、瞬と同じ目をした砂漠の女王だった。
美しく聡明な。
そして、恋の故に愚かな。

「それが、私の幸福だったと言うのか、オデナイト。今になって、そんなことを言うのか」

瞬の口調ではない。
それは、瞬の知らないシリアの古い言葉だった。

「……ただの例え話だ。わかっている。そなたの舐めた苦難も、そなたの受けた屈辱も、そなたが私への愛に殉じた誇りの前に、いかほどのものでもないことは」

氷河の口を突いて出た言葉も、砂漠の民の言葉だった。

「わかっているのなら、よい。私の願いはいつも、我が身の安寧などではなく、“あなた”の幸福だったのです」



パルミラの列柱の端に、夕陽が沈む。

逢魔が時の数瞬後、自分たちの交わした言葉を、氷河も瞬も忘れていた。






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