「私が命に代えてもお守りいたします」 そう答えた騎士の青い瞳を、ワラキア公は、複雑な面持ちで見詰めた。 この男に息子を委ねていいものかという迷いが、この期に及んでも全くないというわけではなかったのだ。 しかし、決断は急がねばならない。 ワラキア公国が地上から消え失せる時が、すぐそこにまで迫ってきていた。 「――では、カルパチア山脈を越えて、ハンガリーに。あの国にはシュンの姉が嫁いでいる」 イスラムの国とキリストの国々をかろうじて隔てている険しい山の連なりを越え、陽の沈む方角へ。 「そなたの故郷を通って」 「我が故郷は、とうに消え失せました。今は、このワラキアが私の故郷です」 「……その故郷も今日で消え失せる」 ワラキア公は、疲労の色の濃い眼差しで、探るように、確かめるように、感情を押し隠した異国の騎士の瞳をもう一度見やった。 ヨーロッパとトルコの狭間に位置するワラキア公国は、百年以上の長きに渡って、イスラムの国に対するキリスト教国の砦として、戦いの矢面に立たされてきた。 そんな状況下にあって、ワラキア公国が小国ながらもこれまで独立を保ってこれたのは、政治力と武勇に優れた君主に恵まれてきたからである。 決して倒すことのできない巨大な国――オスマントルコ――に、ワラキア公国の主たちは、知略と謀略とを駆使して、これまで必死で抗ってきた。 そのために、近隣の、同胞であるキリスト教国を滅ぼし、その国力を吸収することさえして。 だが、その足掻き――それはまさに足掻き、だった――も、今日までである。 倒すことのできない大国。 そうと知りながら、トルコ相手に無駄な抵抗を続けるワラキア公国の希望のない日々は、まもなく終わろうとしていた。 ワラキア公国の首都トゥルゴヴィシュテを包囲したトルコ軍は、長い時をおかずして、この公宮に押し寄せてくるだろう。 ワラキア公国の数百倍の国土と民と兵を持つトルコ、自らの闘いを聖戦と信ずるトルコ軍に、自国の独立の維持にすら汲々としている小国が、いつまでも対抗しきれるものではなかったのだ。 その抵抗を百年も続けてこられたことの方が、奇跡なのである。 |