「亜麻布を扱うドイツの商人の振りをして、トルコの包囲網を脱出します。恐れ多いことですが、ハンガリーに着くまでの間、人前では、公子と呼ばず、シュンと呼ばせていただきます」 シュンに、同胞を見捨てることになる脱出をためらう時間を与えてはいられなかった。 ヒョウガは脱出を決定事項にして、シュンにその手筈の説明を始めた。 シュンが、その説明の腰を折る。 「子供の頃はそう呼んでくれていました。いつから、ヒョウガは僕を公子だの殿下だのと呼ぶようになったんでしたか」 「公子の騎士として生きることを決意した時からです」 「…………」 シュンはその時を憶えていた。 ヒョウガがシュンの父であるワラキア公ではなく、シュンに忠誠を誓って、シュンを初めて『公子様』と呼んだ時のこと。 あの時、シュンはヒョウガの忠誠の誓約を少しも喜べなかった。 昨日まで、実の兄よりも近しく親しく、自分を『シュン』と呼んでくれていたヒョウガの堅苦しい態度に、眉をひそめさえした。 シュンがヒョウガに求めていたものは、騎士の忠誠とは違う、もっと別のものだったから。 「父だけでなく……城の皆を置いていくのですか」 シュンがそう問うたのは、自分が、生き延び苦しむことを選択せざるを得ないのだと悟ったからだった。 シュンの脱出の決意を見てとって、ヒョウガが安堵の息を洩らす。 「そうです」 涙を忘れたシュンの瞳は、一層涙の色を濃くした。 |