「瞬、おまえ、変だぞ。ほんとに変だぞ」

星矢がそう言い出したのは、そんなある日のことだった。

『ある日のこと』としか、僕は言えない。
僕が『変に』なってからその日まで、どれほどの時間が経っていたのか、僕は憶えていなかった。

『そんなことはない』と答えようとして、僕は、言葉をためらった。
明らかにおかしいと自分でもわかっているのに、星矢の言葉を否定しようとする自分が不思議に思えたから。


「俺はさぁ、おまえは氷河を好きなんだと思ってたんだぜ? だから、おまえらが何してよーが、何も言わずにいたんだぞ。けど、最近のおまえは――」

「嫌なら嫌と言った方がいい」
紫龍が、結論を先に言う。

そうだね。
嫌なら嫌と言った方がいい。
僕だって、それはわかってるんだ。
でも――。

「……ごめん。僕、自分でもわからないんだ。ただ……」
「ただ?」
「氷河に来いって言われると逆らえなくて、嫌なのに逆らえなくて……」

なぜなんだろう。
僕は何を怖れてるんだろう。
氷河の何を?

一度『嫌だ』と言ってしまって、氷河に二度と抱きしめてもらえなくなることを?
だとしたら、どうして、僕は、嫌いな相手にそんなものを求めるんだ?


「嫌なのに逆らえねーって、どーゆーことだよ? 逆らったって、別にどーってことねーじゃん。氷河に報復されるのが恐いわけでもないだろ。氷河だって、そんなことしねーだろーし」

「あー……」
単純明快な星矢の理論に苦い笑いを浮かべて、紫龍が、言いにくそうに尋ねてくる。
「ココロは嫌だが、カラダは……というやつなのか?」

「そんなことないよ! あんなことされて喜ぶ人なんていない!」

「…………」

紫龍は、まさか僕が、彼の言った言葉を言下に否定するとは思っていなかったらしい。
一瞬きょとんとしてから、紫龍は両の肩から力を抜いてしまった。
「なら、嫌だと言えばいいだけだ」

「でも、逆らえないんだ……! 氷河のあの声を聞くと、頭の芯がぼーっとなって、氷河の言うこときかなきゃって気になって……逆らえないんだよ……!」

半泣き状態の僕を見て、紫龍が何やら考え込む素振りを見せる。
しばらくしてから、彼は低い声で呟くように言った。
「……まさかとは思うが」
「まさか、何なんだよ?」
単純明快の上に敏活を求める星矢が、じれったそうに紫龍の言葉の先を促す。

「これは、催眠術――というやつじゃないか?」
「催眠術ーっ !? 」


紫龍の導き出した結論に、星矢はぽかんと口を開けた。
「なんで、そんなこと」

「なんで……って、そりゃあ、他人を自分の思い通りに操るためだろう」


紫龍の言葉に驚いたのは、星矢だけじゃなかった。
もちろん、僕も驚いて――まさかと思い、でも思い当たる節が多すぎて、否定しきれなかった。


そうなんだろうか?
そうだったんだろうか?
僕が氷河を嫌いなのに、氷河に逆らえなかった訳は。

氷河は、そんな卑劣な手段で、僕を操っていたんだろうか?



「俺の考え過ぎならいいんだが……一度専門家に診てもらったらどうだろう?」

自分で自分を律することのできない現状が不安でならなかった僕は、藁にもすがる思いで、紫龍の提案に頷いた。






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