「自分の容色を花に例えるとは、若い頃にどれほど美人だったのかは知らないが、その婆さん、とんでもない自惚れ屋だな」

深草少将にはその歌がひどく驕慢なものに思え、あまり良い印象を持てなかった。
歌の巧みさは認めるが、そんな歌を作り、しかも人目にさらす神経が理解できない。

若くして大学寮頭を務めている少将の幼馴染みが、その書物を文机に伏せて、呆れ顔で言った。

「おまえ 知らないのか。この歌を歌ったのは参議小野篁殿の次男良真殿の妹御、小野小町。まだ、十五、六の若い姫君だぞ」
「十五、六? それでもう容色の衰えを嘆いているのか」
「おまえ、女たらしのくせに抜けてるな。紀貫之殿の『古今集仮名序』を読んでないのか? 貫之殿は、小町のことを『小野小町は、いにしえの衣通姫の流れなり』と絶賛している」
「衣通姫? 和歌三神の一人か。まあ、確かに歌の才はあるんだろうが」

どれほど技巧に優れていても、歌う歌がこんなに嫌味ではどうしようもない。
少将は脇息に肘をつき、しらけた気分で庭の中島に視線を泳がせた。

深草の里に秋が訪れようとしている。
東対から見える背の低い楓の木は、そろそろ色づく準備に取りかかり始めていた。

大学寮頭が、気の無い少将を頭ごなしに叱りつける。
「馬鹿。衣通姫と言えば、その美貌が衣装を通して輝いたという、本邦史上最高の美女だぞ!」

「それがどうした」
いくら美人でも、数百年も前の美女では有難くも何ともない。

「美人なんだよ、小町は。美女に決まってる。この歌は言い寄る男を遠ざけるための防御壁さ」
「…………」

紀貫之がつい先頃編纂を終えた『古今和歌集』は、当然のことながら、当代の和歌を集めたものである。
その編者が、どこぞのふざけた大学寮頭ではあるまいに、歌人の美貌になど言及するものだろうか。
紀貫之の言っている『衣通姫の流れ』は、どう考えても歌の才のことである。

しかし、大学寮頭は完全に美女の幻想に憑りつかれているようだった。
「ふふん、おまえもさすがに疲れてきたのか? 以前のおまえなら、とっくの昔に、『それほどの美女なら俺が落としてみせる』くらいのことは言っていたぞ」

「『衣通姫の流れ』が歌の才のことなら、期待外れということもあるだろうと言ってるんだ。だいいち、臆面もなくそんな歌を歌う女に、俺は興味ないぞ」

「はいはいはい。少将サマのおっしゃる通り」

大学寮頭の小馬鹿にしたようなその物言いが、少将にはカチンときた。
で、少将は言ってしまっていたのである。

「俺にかかったら、落ちない女など、この世にはいない!」
――と。

「どうだかな〜」
にやにや笑いながら言われると、少将にもさすがにそれは挑発なのだとわかったが、ここまで来て、今更後に引けるものではない。

「小野良真殿の館はどこだ。小町はそこにいるのか」

脇息を脇に押しやり、憤然と立ち上がった少将を、大学寮頭は期待に満ちた眼差しで見詰めてきた。

「おっ、その気になってくれたか! いやー、良真殿のガードが堅くてな。これほど有名な花の小町の姿を、実は誰も見たことがないんだ。おまえならできる! 見たら、教えてくれっ!」 
「よっ、宮廷一のプレイボーイ! 色男っ!」

いつのまにか、そこには、体制への批判と称して髪を結い上げない長髪大学寮頭の他に、これまた、体制への批判と称して髪をざんばらにしている兵衛少志までが、興味津々といった様子で顔を覗かせていた。

「紫龍、星矢。貴様ら…………」

深草少将は、物見高い幼馴染みたちに、疲れたように言ったのである。

「貴様ら、時代考証を無視した単語を使いまくるな」






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