通された北対の庭には、車輿の腰掛がぽつんと一つ置いてあった。 小野良真の北の方は数年前に病を得て亡くなっているはずなので、その妹である小町が今はこの北対の主になっているのかもしれない。 御簾の陰に小さな人影があった。 氷河は既に、自分の衣通姫を見つけた後で、今更、小町も楊貴妃もなかったのだが、ここは一応礼儀である。 「深草の里から、あなたの美しさに惹かれてここまで迷い込んでまいりました。お情けを賜ることができましたら幸いです」 たとえ小町が氷河の衣通姫以上の美貌を持つ姫君だったとしても、ここで色好い返事を返されては困る――というのが、氷河の本音だった。 御簾越しに返ってきた小町の答えは、氷河の期待に沿っているような、期待外れのような、実に微妙なもの。 「では、深草の里から、毎夜、私の許に通い、その椅子で百夜続けてお寝みになられたら、その百夜目に、私はあなたの御心に従いましょう」 その返答を聞いて、氷河はおもむろに眉をひそめた。 |