「言葉、か」

その夜、自室に戻ると、氷河は読み終えた論集をテーブルの上に放り投げた。

「言葉を使っていると、キスもできない。邪魔なだけだ」
吐き出すようにそう言って、早速瞬を抱き寄せるために腕を伸ばす。

「おまえに会えていなかったら、俺も必死で言葉を覚えようとしていたかもしれないが」
そんなことすらキスの合間に、氷河は、まるで菓子のおまけのように口にする。

「氷河は今のままでも十分に雄弁みたいだけど……。僕は、言葉は必要なものだと思うよ」
「なぜだ?」

意外そうな声音で氷河に問われ、瞬は、僅かに睫を伏せた。
問われたことには答えずに、自分を抱きしめている氷河の顔を見上げ、反問する。

「氷河、僕を好き?」
「馬鹿げたことを訊くな」
「馬鹿げたことを訊く僕は嫌い?」
「―――」

氷河は、言いたくないことも言葉にはしない。
瞬は、微かに困惑の混じった笑みを作った。

「言葉は大事だよ、多分……」

でなければ、人はそんなものを作りはしなかっただろう。
これほどまでに、弊害の多い“道具”――言葉。

「言葉でなきゃ伝わらない人もいるし、言葉でなきゃ伝えられない人もいるかもしれない」

「言葉は人を殺すこともあるぞ」

「……うん。氷河に嫌いだって言われたら、僕、そうなっちゃうかもね」
「俺がそんなことを言うはずがないだろう」
「……わかんないよ」
「瞬」

瞬がいつになく駄々っ子なのに、氷河は少し驚いていた。

「一度、僕を嫌いだって言ってみてよ。どうなるか」
「心にもないことは言えん」

いつもの瞬は、そんな無益なことを人に求めたりはしない。
氷河は、平生の瞬らしからぬその態度を怪訝に思い、微かに眉をひそめた。

「――瞬。おまえは、本当は“言葉”が欲しいのか」

「ううん」
あっさりと答えて、瞬が首を横に振る。

それはそうだろう。
そんなものを欲しがったりはしない瞬だからこそ、氷河は瞬を欲し、選んだのだ。






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