「白いものしかないんだね、ここ」

身仕舞いを整えると、瞬は、窓の側にある椅子に腰をおろし、白以外の何もない景色に視線を投じた。

「白しかないところで、人がどうなるか知っているか」
「どうなるの?」
「狂うだけだ。狂う前に、春が来ることを祈る」

母親を失ってからは、その祈りだけで生きてきた。

「日本に行ってからも、白につきまとわれた。振り払えなかった。狂う前におまえに出会った。ガキの頃、おまえに初めて会った時、俺がどれほど――」

――眩しかったか。
憧れ続けた春が、そこにあった――のだ。

瞬の許に帰りさえすれば、あの白い光景から逃れられるに違いないと信じて、再び引き戻された白い世界の中で、辛い修行にも耐えた。

だが。

「春は誰にとっても春なんだ。おまえは誰にでも優しい。だから――」

「だから?」
瞬の口音は、駄々をこねてその地を立ち去るまいとする冬を諭す春のように、穏やかだった。

「氷河は逆だね。誰にも背を向けてる。周りを見て。氷河の周りはもう春なの。冬が残ってるのは、氷河の足元だけ。氷河の心の中だけだよ」

その“冬”を失ったら、冬はどうなるのだろう。

「春にはね、激しい力はないの。一瞬で全てを凍りつかせる力も、全てを燃やし尽くすような力も、春にはない。でも、少しずつ少しずつ全てのものを解かしていって、いつかは永久氷壁だってきっと――」

「わかっている!」

それは、氷河自身にも合点のいかない矛盾だった。
その時を待っていたのに、春の訪れる日を待っていたのに、いざその時に直面してみると――その力の大きさに恐怖心さえ覚える――とは。

瞬が恐いのだ。
春が恐い。

だから、支配せずにいると支配されるという強迫観念に負けて、この暴挙に及んだのだ。






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