「こ……こんなことをして何になると言うの……」 グラード財団総帥としては、傘下の出版社からベストセラーが出ることは悪いことではない。 それでなくても、最近精彩を欠いていたグラードの出版部門で、この事態はむしろ喜ばしいことでもあった。 だが、氷河の意図がわからないことが、彼女を不安にするのだ。 で、その氷河の意図、である。 「先月、これの英訳したものを米学会誌に送りつけた」 「え?」 「で、ハーバードが俺に博士号をくれるそうだ」 「なんですって !? 」 そんな馬鹿げたことが、いくら人倫の乱れたこの現代とはいえ、あっていいことだろうか。 沙織は、今度こそ、本当に真剣に絶句した。 「ラッキョで博士号かよ !? 」 「米国人は健康に神経過敏状態だし、俺の駄文の載った学会誌も増刷状態でな。お固い学会専門誌の増刷なんざ、50年振りのことらしい。論文と一緒に送りつけてやった俺の写真が功を奏したんだろう」 素っ頓狂な声をあげた星矢に、氷河が不敵に笑ってみせる。 「机上の空論じゃないんだからな」 「そ……そりゃあ、博士号を取れとは言ったわ。でも……でも、こんなことをして、それでどうなるっていうの!」 何とか気を取り直した沙織が、気力を振り絞って、氷河を問い質す。 さすがは、世界に冠たるグラード財団のトップに立つ女性ではあった。 「瞬の行く学校の理事長に、ラッキョウ療法の実験をしたいと申し込んだ。寮生を、ラッキョウを食べさせる被験者にしたいとな」 「何ですって !? 」 無論、氷河は、そこにグラード財団総帥の意思が働いていることを匂わせたのだろう。 「学長も、寮監も、寮の栄養士も、PTA会長も、大歓迎で、特別顧問として、俺を寮に迎えてくれるそうだ。寮生の意思は知らんが」 目的のためなら手段を選ばない――。 よく耳にするフレーズではあるが、こんなにも見事なその実例を見せられて、さすがのグラード財団総帥の気力も尽きかけていた。 素直に、『俺も瞬と一緒に学校に行く』と一言言えば済むところで、こんな大掛かりな茶番を仕組んでしまう男の神経が、沙織には理解できなかった。 が、氷河の目的である瞬の方は、いたって呑気である。 「あ、でも、そしたら、僕、氷河と一緒に寮生活ができるのかな?」 「ああ。しかも、俺は、あくびの出るガキ向けの授業には出なくていいというわけだ」 「わぁ、よかった」 瞬と違って、沙織は、無論、この事態を素直に喜ぶことはできなかった。 私立の高校は、名前が売れることが何よりも大事である。 そこに、今話題のベストセラーの著者が、世間の注目を浴びること必定の話題を提供してくれた。 しかも、そこには、総帥の意思が働いているらしい。 ――となったら、グラード学園の経営者たち(教育者ではない)が異を唱えるはずもない。 氷河の狙いは正鵠を射ていた。 氷河がもう少し常識と良心を備えた男だったなら、学校などに通わせるより、財団の経営に一枚噛ませたい――沙織はしみじみそう思ったのである。 しかし、氷河に常識や良心の持ち合わせはない。 それが、沙織を疲れさせる最も大きな要因だった。 「けど、氷河。おまえ、そんなにラッキョ好きだったっけ?」 「ラッキョ? 俺はそんなもん、食ったこともないぞ」 『馬鹿を言うな』と言わんばかりに星矢に断言してみせる氷河に、沙織は頭痛を覚え、明日から寮生になる身の星矢たちは(除く、瞬)――思いきり戦慄した。 |