さて、その日の午後。 氷河のために用意された特別室では、世にも恐ろしい場面が展開されていた。 もっとも、その時にはまだ、それが“恐ろしいこと”なのだとは、誰も気付いていなかったのではあるが。 光星寮勤務歴17年になる栄養士兼調理師が、本日の夕食のメニューを相談するため、びくつきながら氷河の許を訪れていた。 「で、今日のメニューはどうしましょう?」 なにしろ、相手はハーバード大学の博士号を持つ若き天才である。 一介の調理師には到底作れないような難しいメニューを提示された時のことを考えて、彼は不安顔だった。 が、氷河の答えは実に思いがけないものだった。 「カレーだ」 「は?」 「ラッキョと言ったら、カレーだろうが」 「はあ……」 思いがけないものではあったが、それは調理師を安堵させるメニューでもあった。 緊張していた肩から力を抜いた調理師に、氷河から注文がつく。 「あ、カレーは甘口だぞ。瞬は辛いカレーが苦手なんだ。ルーなんぞ作る必要はない。カレーの王子様でも買って来い」 「カ…カレーの王子様……ですか?」 「なんだ? 文句でもあるのか?」 「いっ、いいえ、滅相もございませんっ!」 出来合いのルーなどを使ったら、調理師の腕のふるいどころがないではないか――などと、贅沢は言っていられない。 彼は、平身低頭したまま氷河の部屋を出て、そのまま、近所のスーパーマーケットにカレーの王子様を買いに走ったのだった。 ――とまあ、その日は、それで済んだ。 問題は、翌日である。 「今日のメニューはどうしましょう」 「カレーだ」 「は?」 「ラッキョと言ったらカレーだろうが」 「はあ……」 「今日は辛口にしてもいいぞ。瞬は俺と外食する予定になってるからな。作りたいのなら、ルーから作っても構わん」 そして、翌々日。 「えー。今日のメニューはどうしましょう」 「カレーだ」 「は?」 「ラッキョと言ったらカレーだろうが」 「はあ……」 「今日は極辛がいいな。瞬は無論、俺と外食する予定になっている。あとは好きにしていいぞ。バーモントカレーだろうが、ジャワカレーだろうが、こくまろカレーだろうが」 「…………」 事ここに至って、グラード学園高校光星寮の調理師は、ハーバードの博士号を持つ若き天才の内に潜む狂気を、やっと認識した。 |