が。

言葉というものは、そうそう捨てたものでもない。
全てを決定づけるのは、要するに、そこに、対象物を知りたい、理解したいという意思があるかないかなのである。

人間は、謎を解きたいの一心で、未知の言語の解読さえ成し遂げてきた。
まして、基本構造上は同じ言語を使っている者同士、理解したいという意思さえあれば、(多少は)理解し合うことも不可能なことではないのだ。


その日、瞬は、星矢とサッカーの試合に付き合わされて、くたくたになって、例の溜まり場にやってきた。

前日テレビ放映されたサッカーの国際試合談義に盛り上がっていた瞬のクラスでは、どうやら全く同じ状況だったらしい隣りのクラスの生徒たちと、放課後、グラウンドで、即席のチームを作って対抗試合をすることになってしまったのである。
いつもいつでも全力投球――もとい、全力蹴球――の星矢とツートップを組まされてしまった瞬が、並大抵の運動消費量で済むはずはなく、試合を終えて理科実験準備室に辿り着いた時、瞬はへとへとに疲れきっていた。


「腹へったーっ! 瞬、おやつくれ、おやつ!」
ゲームには大勝したので、瞬と同様にくたくたのはずの星矢は、それでも威勢がいい。

「うん」
瞬が、鞄の中から取り出したのは、その日はマドレーヌだった。
星矢が、『いただきます』も言わずに、キツネ色のお菓子にかぶりつく。

お約束通りにむせてみせる星矢の前に、紫龍がウーロン茶の入ったグラスを置いた。
「二人とも大活躍だったらしいな。サッカー部の顧問が、おまえらをスカウトしたいと俺に言ってきたが」

星矢と瞬が理科実験準備室のメンバーになっていることは、既に校内に知れ渡っているらしかった。

「んー、サッカーもいいけどさ。俺、高校ではバスケ部入って、身長伸ばす予定なんだよな」
早くも3個目のマドレーヌが、星矢の胃袋に収まりかけている。

「瞬。おまえも腹ぺこなんだろう? 星矢に全部食われる前に、自分の分は確保しておけよ」
紫龍に言われた瞬は、慌てて、マドレーヌを1個、自分の手許に引き寄せた。


そこに、飢えた野生の獣の登場である。

氷河は準備室に入るなり、挨拶もなしに、
「食い物をくれ」
と、用件に入ってきた。

「昼飯を食い損ねた。購買には何も残っていなかった。腹が減って死にそうだ」
彼にしては珍しく、補足説明付きである。

「はい、どうぞ」
瞬が差し出したマドレーヌを、氷河はものの10秒で平らげた。
星矢もびっくりのスピードである。

「もうないのか」
よほど空腹でいるらしい氷河に、瞬がもう1個を手渡す。
瞬く間にそれも平らげてしまった氷河は、最後の1個に視線を据えた。
瞬が、自分用にと星矢の手から避難させておいた、文字通り、最後の1つである。

「それもくれ」

「おい、氷河、それは……!」
星矢が止める前に、瞬は最後の1個を氷河に差し出し、
「それは瞬の分だぞ!」
星矢が言い終わった時には既に、氷河は最後のマドレーヌにばくりとかぶりついていた。

「あー……あ」
こうなってみて初めて、自分が平らげた5つのマドレーヌを後悔する。
星矢は、非常な幸福感を味わっている自分の胃袋に、腹が立ってきてしまった。

が、氷河の方は、星矢の胃袋の具合いなど、まるで気にしていない。
最後のマドレーヌを手にして、彼は、まじまじと瞬を見詰めていた。

「……本当にくれるんだな」
「え?」
「おまえ、腹が減っているんだろう」

「ちょっとだけ……。でも、僕はちゃんとお昼食べましたし」
と言った側から、瞬の腹が、ぐーっ☆ と音を立てて、自分の主人の嘘を暴露する。

「わあっ…… !! 」
途端に頬を真っ赤に染めてしまった瞬に、氷河はそれを突きつけた。

それ――というのは、つまり、最後の1個のマドレーヌである。

「食え」
“それ”には、氷河のかじった跡がくっきりと残っていた。

「あの……」
「食え。半分こと言うやつだ」

「は……はい……」

ここで、氷河の親切(?)を拒んでしまえる瞬ではない。
氷河の歯型のついたマドレーヌを恐る恐る受け取って、瞬はそれをぱくりと一口食べた。

「おいし」
空腹だったからなのか、それ以外の何かが作用したのか、ともかく、瞬は自分の作った作品を、思わず、自画自賛した。
本当においしかったのだから、悪いことではないだろう。

「そうか」
氷河は相変わらず無表情だったが、にっこり笑った瞬を見ている彼のその声音には、満足感のようなものが混じっていた。






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