「氷河、生きてるか」

その部屋の中は、ベッドと数冊の本と衣類とが散らばっている他には何もなかった。
ベッドにうつ伏せに倒れている男の腕が、だらりと床に届いている。

「……死んでるようだな」

氷河の頚動脈に触れて安堵の表情を見せた紫龍の軽口に、瞬は眉をつりあげた。
「紫龍! こんな時に、なにふざけてるの! きゅ……救急車を……!」

「なに、こいつの胃袋は野生の肉食獣仕様でできてるから、1週間程度の絶食なら、すぐに食い物を突っ込んでも大丈夫だろう。瞬、何か、食い物を持っているか」
「フィ……フィナンシェがあるけど、ぜ……絶食? い……1週間も !? ダメだよ、病院に運んで、点滴を打ってもらった方がいい!」
「大丈夫だろう。伊達に野生児なわけじゃないんだ」

紫龍は、餓死寸前らしい友人の横っ面を2、3発、派手な音を響かせて平手打ちした。
「おい、氷河。愛しの瞬が来たぞ。起きろ!」

「……瞬……」

意識が戻っているのかどうかも怪しかったが、瞬の名を耳にして、氷河は微かに瞼を開けてみせた。

「お、起きたな。瞬からの差し入れだ。食え」
「……瞬」

あまり、意識鮮明には見えないが、生きる意欲だけは多少なりとも残っているらしい。
瞬の名を呟く氷河の手に、紫龍は、瞬から受け取ったフィナンシェを掴ませた。

「おまえ、食わんと、まじで死ぬぞ。そうしたら、瞬は、瞬を狙ってるハイエナ共のエサにされるわけだ。横取りされていいのか、自分でちゃんと食えよ」

「瞬……食わせてくれない……。瞬は俺を嫌いなんだ」
「阿呆! 飢えたライオンに食ってもいいかと言われて、にっこり笑って、はいどうぞなんて、我が身を差し出すガゼルがどこにいる!」

「俺は、瞬が食いたい……」

飢死寸前で何を言っているんだかと呆れつつ、紫龍は、自分の横にいる瞬を見やった。
そして――目一杯慌てることになった。

瞬が泣きそうな瞳をして、馬鹿なことを呟いている餓死寸前の男を見詰めている。

(ま…まずい……!)

瞬が誰かのために生きていたい人間だということを――誰かの力になれることに至上の喜びを見い出すタイプの人間なのだということを、紫龍が思い出した時には遅かった。


「氷河……!」

瞬は、氷河の枕元に膝をつくと、その手を取り、涙ながらに訴えていた。
「ぼ…僕でも何でも食べさせてあげるから、とにかく、何か食べて! 元気になって!」

「だが、瞬は俺が……」
「嫌いだったら、こんなとこまで来ませんっ !! 」

「瞬は……」
「僕は氷河が好きだから、こんなところで死んじゃ駄目っ !! 」



それは、氷河にとっては神の啓示、星矢と紫龍にとっては万事休すの宣言だった。






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