「瞬。おまえ、行きたい時代はないか? 氷河と一緒なら恐くないだろ?」
「べっ…別に、僕、ひとりだって平気ですよ! そ…そうですね。僕、バビロンの架空庭園が作られた時代に行ってみたいな。ネブカドネザル王の時代のイラク」

つんと横を向いてそう言う瞬に、氷河は首をかしげた。

瞬がつんと横を向くのは“氷河のせいで、ご機嫌ななめ”のポーズである。
だが、何故瞬の機嫌が悪いのか、氷河には心当たりがなかった。

「紀元前六世紀頃だな。任せておけ。で? 氷河はどうする? 恐いか? 瞬が一緒でも」

馬鹿にしたような紫龍の口調にカチンときて、氷河が長髪男を怒鳴りつける。
「そーゆー問題じゃないだろうっ! 俺が恐いのは貴様だっっ! 他の誰かが作ったのならともかく、貴様の作ったタイムマシンなんかに乗ってられるかっ!」

氷河の怒声を、紫龍は最後まで聞いてはいなかった。瞬に向きなおり、白々しく言う。
「氷河は行かないそうだ。じゃ、瞬だけ乗れ。すぐ、お望みの時代に送ってやる」

「おっ、おい、瞬! そんな危険なモノに乗って、万一のことがあったらどうするんだ! やめろ。危ないぞ」
氷河は瞬の腕を掴みあげて引き止めようとしたのだが、瞬はその手を擦り抜け、怖がる様子もなく豆腐の中に乗り込んでしまった。

どーでもいいが、豆腐に付いているドアも、ほとんど電話ボックスのそれである。

「いやー、実験台にして悪いな、瞬。このマシン、聖闘士じゃないと耐えられそうにないんだ。なにしろ、身体の原子を超光速で加速させて次元を移動しようって代物なんでな」

とんでもないことをのんびりと言ってのける紫龍に、氷河は大慌てに慌てた。
そんな危険なモノに瞬を乗せて、万一 ――もとい、十中八九――事故が起こり、瞬の身に何か起きたら大変ではないか。

そんなことになったら、いったい誰が責任を取ってくれるというのだろう。
いったい誰が、まだキスの一つも交わしていない、氷河の六年分の純愛を贖ってくれるというのだ。
たとえ紫龍に死んで詫びられても、氷河の悔しさと虚しさは癒されることはないだろう。

「一週間したら自動的にこっちに戻ってくるように設定しといてやるから、安心しろ。聖闘士なら金がなくてもどーにかなるだろ、一週間分の食いぶちくらい」
紫龍は完全に他人事の顔で、無責任極まりないことをほざいている。

氷河は豆腐のドアを開け、中から瞬を引っぱり出そうとした。
「お、やっぱり瞬を一人で行かせるのは不安か? そーだろーな。ま、タダで海外旅行できるんだと思って、楽しんできてくれ」

紫龍は氷河の行動を誤解して――おそらく、わざと誤解して――氷河を豆腐の中に蹴り入れた。
そして、豆腐の横に置かれていたキャッシュディスペンサーのような機械のタッチパネルを操作し始める。

それが、どうやらタイムマシンの起動スイッチだったらしい。
豆腐の中に閉じ込められた二人の耳に、蜂の羽音のように微かな機械音が聞こえてきた。

「うわっ!」
紫龍がタッチパネルの操作を終えた途端に、氷河の身体に重加速が加わった。
聖闘士である氷河が、オーロラ・エクスキューションを受けた時程度の衝撃を自覚するのだから、これが一般人だったら到底生きていられないほどの重圧である。この状況下で抱きしめ庇うことに意味があるのかどうかは分からなかったが、氷河は瞬を抱きしめ、彼をその胸と腕の中にすっぽりと包み込んだ。

瞬の眉が、辛そうに歪んでいる。

(紫龍のやろーっっっ!!)
もし生きて帰れることがあったなら、必ず紫龍をぶっ殺してやる! と決意して、氷河はひたすら瞬を強く抱きしめた。

正直言って、このシチュエーションは氷河には結構嬉しいものだったりしたのだが、それと紫龍への殺意とは別次元の問題である。

「しゅ、ん、だ、い、じょ、う、ぶ、か」
重加速のせいで、声もまともに響かない。
その声が瞬に聞こえているのかどうかを氷河は訝ったのだが、瞬は氷河の胸で頷いた――頷こうとしているように見えた。

重力の嵐は、約二分間ほど続いた。
二分間、オーロラ・エクスキューション受けっぱなし状態だったにも関わらず、嵐がおさまると、氷河の身体には傷一つ、痛み一つ残っておらず、それは瞬も同様のようだった。






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