「そ……そうだったんですか……。場にそぐわない綺麗な人がいるなぁって思ってたんですけど、あの銀行の人事の方じゃなかったんですね」

Sクラスベンツの助手席で、瞬は、もうひとりの瞬が隣りに座ることが可能なのではないかと思うほどに肩を縮こまらせていた。

「俺の会社はもっとこじんまりした会社だ。社員は目利き揃いだが、実質は、指定格付機関の下請け会社だからな」
「でも、企業側では怖がるんでしょう?」
「やましいことを抱えている企業は」

瞬が、やっと、微かな微笑を目許に刻む。


「就職なんて、あまり深刻に考えないことだ。今は就職浪人が幾らでもいるし、職に就いたところで、2、3年のうちに辞めていく第二新卒の割合も増えている。一人で暮らしているにしても、バイトで食いつなぐこともできるだろう。君くらいなら、通訳でも会計事務所の事務でも何でもできるだろうし……。今は、普通なんてものがない時代だ。卒業して就職するルートが普通とは限らないし、正社員の地位が安泰だとも言い切れない」

「……そうですね。でも、人間は──自分が何ものかであると思っていたいものでしょう? 自分が自分なだけでは不安なんです。僕は、これまで、自分であると同時に学生だった。苦学生だったけど、それが僕の肩書きで……。きっと、僕は、『学生』に代わる肩書きが欲しいんだと思います。……自分に自信のない子供のたわ言と軽蔑されるかもしれませんが……」

「いや……」

氷河は、そうは思わなかった。

人は結局、一人だけで存在するものではない。
人間関係の中で、生かされているのだ。
個人主義者の氷河でさえ、仲間というものとつるんで今の会社を設立した。


今、氷河の隣りで肩をすぼめている子供は、人間が生きていくのに必要な存在証明の“名称”を探しているだけなのだ。

(その肩書きが、俺の恋人だったらよかったのに)

そんなことを考えている自分に驚いて、氷河は、隣りのシートに座っている“子供”を盗み見た。
氷河はさっさと学生でいることをリタイアしたので、社会人としての経験は10年を越えるが、年齢は、実は、瞬と5、6歳しか違わなかった。


今は自信を失いかけて頼りない横顔。
だが、迷うのは思慮が深いからなのだろう。
が、『深く考える』イコール『賢明』ということではない。
ここで、答えを見つけ出せなかったら、瞬はただの愚か者で終わるのだ。






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