「相談があるんだが……」

利用されるならとことんまで──と思ったわけではない。
氷河はただ、自分と瞬の間に好意や愛情がないのだとしても、瞬のために何かをしてやりたかった──否、何らかの繋がりを持っていたかったのである。

「俺たちの会社の業績はあがってるな?」

氷河は、重役出勤で自社オフィスに入るなり、彼の共同経営者たちに話を持ちかけた。

「不況下だからな」
代表取締役専務の一輝が、愛想のない声で答える。

代表取締役常務の紫龍は、自分のデスクの上のパソコンに、秒速30ストロークという驚異的スピードでマシンガンのようにデータインプット作業をしていた。

「1人……新卒を入社させる気はないか?」
「有能なのか」
「素直ないい子だ」
「そんなものは才能とは言わん」

にべもない一輝の声が、大して広くもないオフィスに妙にはっきりと響いたのは──響いたように聞こえたのは──紫龍が、光速タイピング作業を中断したからだった。

「まあ、一輝。それは確かにそうだが、事務をこなせる子は、俺も1人欲しいぞ。俺たちがいくら有能だと言っても、これだけ仕事があるというのに、事務員ひとりいないのでは会社としても体裁が悪い」

「事務員より優秀なパソコンがあるじゃないか」
「オペレータが必要だと言ってるんだ。年間総売上が10億ある会社で、社員が3人、バイトが1人だけというのはいくら何でも無理がある」

紫龍のその言にも関わらず──実際には、この会社に社員はいなかった。
代表取締役社長の氷河と、代表取締役専務の一輝と、代表取締役常務の紫龍。

この会社は、たまたま某国立大学で出会った3人が意気投合し、同時に大学を退学して立ち上げたベンチャー企業だった。
資金もほとんどない状態で始めた会社の年間売上げが億の大台にあがるまで、3年。
それ以降順調に業績を伸ばしてきたのは、一重に、辛辣・皮肉・冷淡な視点を持った3人の経営者の有能さ故だったのである。


「そう言えば、そのバイトが遅いな。国会図書館からS社の特許裁判資料を調達してこさせようと思っていたんだが、星矢の奴、今日はどこで何に引っかかっていやがるんだ。バイト料をさっ引いてやる!」
「そんなことはどーでもいい。話を逸らすな。俺は常々、紫龍ひとりで経理から税務までこなすのは大変だろうと思っていたんだ。こいつに金まわりのことを全て任せておいてみろ。数千万単位で横領しかねない」

紫龍にとっては、氷河の口にしたそれは褒め言葉だった。
が、立場上、喜んでみせる訳にもいかない。
代わりに、紫龍は、氷河の狙いの中心を突いてみせた。

「……で、おまえの目に適った新入社員というのは美人か?」
「俺が不細工な奴に手を出すと思うか」
「いーや、思わん。貴様は馬鹿と不細工が大嫌いだからな」

「氷河っ、貴様、他社の商品に手を出したのかっ !? 」

一輝の怒声を、氷河は間髪を入れずに遮った。
「語学は堪能だ。外国企業の情報収集もうまくこなすぞ。税理士の資格も持っている」

「ごまかすなっ! おまえのオンナを恩顧入社させるくらいなら、俺の弟を連れてくるっ」
「毎日、貴様の弟の暑苦しいツラなんか見てたら、勤労意欲がそがれるだけだろうがっ」

「何を言うか! 俺の弟は、月も花も裸足で逃げ出すほどの超美形だぞっ!」

『もう2、3年も放っておいているが』──と、一輝は口の中で続けた。

一輝の家庭の事情などどうでもいいことだったので、氷河は、彼のそんな呟きなどあっさりと無視した。
この際、美形でも不細工でも、瞬のライバルなど不要なのである。

しかし、更に事態を複雑にするセリフが、今度は代表取締役常務である紫龍の口から飛び出てきた。
「あー、それで言ったら、俺も1人……。大学で世話になった教授のゼミの後輩で、出来はいいんだが、少々要領が悪くて就職できずにいる子が1人いて、ここに潜り込ませてやろうかと思っているんだが……」

一輝は無論、そんな恩顧入社も認めるつもりはないらしい。
「要領の悪い奴に、この仕事ができるか! 少数精鋭、人件費を極力抑えて、がっぽり儲ける! これが我が社の経営理念だ」

「いくら俺たちが有能でも、こなせる仕事の量には限度というものがあるだろう。貴様のそのケチぶりはどうにかならんのかっっ!」


そんなふうに。
日本国で最高峰に位置する某国立大学を『つまらん』の一言でもって、揃って退学した3人の知性派が、あわや取っ組み合いの喧嘩に突入しようとした時。


知性も理性もない一つの雄叫びが、午後のオフィスに乱入してきた。






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