「これは誘拐だぞ」 ハンドルを握っている瞬は、俺に責められても何も答えなかった。 が、瞬から答えが返ってこないことは、この際、問題じゃない。 黒塗りのセンチュリーの車内には、それ以前の大問題があった。 すなわち、 「おまえ、車の運転なんかできたのか」 ――という。 「昨日、本を見て覚えた」 瞬は、恐ろしいことを平気な顔で――いや、かなり緊張した面持ちで言った。 秋の観光シーズンも過ぎた平日の深夜の高速に、車は少ない。 たまに出会うのは、どこぞの宅急便屋のトラックばかりだった。 反対車線の車のヘッドライトが照らしだす瞬の横顔は、実際よりもずっと白く見える。 向かっているのは――おそらく、瞬も自分がどこに向かって車を走らせているのか、わかっていないに違いなかった。 「計画的犯行というわけか。で、おまえの要求は」 生まれて初めて車のハンドルを握っている人間に生殺与奪の権を握られているというのに、俺の声は妙に落ち着きはらっていた。 こういう状態でなら、いくら俺でも、瞬に対してろくでもない行動に出ることはできないだろう。 今の俺には、自分の命なんかより、そっちの方が重要懸念事項だった。 「氷河が僕を避けてる訳を知りたい」 「…………」 今度は、予想通りの答えが返ってくる。 日頃は慎重派にして穏健派の瞬にこんなことをさせるほど、俺の態度は――まあ、露骨だったというわけだ。 「以前はそんなことなかった。氷河はもっと僕と――仲良くしてくれたじゃない」 うまい言い方が思いつかなかったのか、少し間をおいてから、瞬はその言葉で、以前の俺たちの関係を表現した。 “仲良く”していた――。 そうかもしれない。 少なくとも、瞬に話しかけられた時、相槌を打ってやるほどの親密さを、俺は瞬に示してやっていた。 「おまえが一方的にだろう」 だが、これは、おまえの自業自得だ。 そして、俺の逆恨みでもある。 「そうかもしれないけど……氷河は嫌がってるようには見えなかった。あれはお芝居だったの?」 「最近、嫌になったのさ」 ハンドルを握っている瞬の手が、微かに強張る。 この手に俺の命が握られているのだと考えるのは、なかなか愉快なことだった。 「どこが」 「わからないのか」 わかるはずがない。 「い……いい子ぶってるとか、誰にでも親切顔をするとか、そういうこと?」 「さあ」 誰が、そんなことをおまえに言ったんだ。 いい子ぶろうとして失敗したことのある阿呆か何かか。 ――遠くに、夜の街灯りが砕けたガラスのかけらのように散らばっている。 その更に向こうに見える黒々とした部分は、どうやら海のようだった。 |