「氷河……っ!」
全くどうでもいいことのように受け流した俺の名を、瞬は責めるように口にした。
助手席にいる俺の方に顔を向けてこないところを見ると、まだそれなりの判断力は残っているらしい。

「人に嫌われ慣れていない瞬ちゃんは、俺みたいな奴にも無視されるのは不愉快というわけか」
おまえを嫌った奴はおそらく、おまえを見ていて、自分の醜い部分を思い知らされるような気分になったんだろう。
最後の審判の場、神の御前で、己が罪に恥じ入るように。

「誰かに嫌われるのなんて慣れてるよっ!」
「…………」

意外な答えが返ってくる。
瞬に、『いい子ぶっている』と言ってのけた奴は、どうやら複数人いるらしい。
おまえを嫌う奴等なんて、みんな馬鹿だ。

「氷河、教えて。彼等と同じ理由で、氷河は僕を避けるようになったの」

そんな馬鹿共と一緒にするな。
俺はそんな奴等よりはもう少し――いや、俺は、そいつらよりずっと馬鹿だ。

「どうして知りたい。知ってどうする」

そのまま、ハンドルを切り損ねろ。
そして、死んでしまえ。

俺は、そんな言葉を胸の中で作っていた。

「原因を知って、それを排除する」

“瞬ちゃん”は、実に前向き。
どうやら瞬は、根本から、俺みたいな奴とは人間の出来が違うらしい。

「これまでも、そうやって、自分を嫌う者たちをなくしてきたのか」
だが、それでも、おまえを嫌う奴は、後から後から出てくるだろう。
人間はみんな罪を抱えている。

『嫌う』という言葉に、瞬は微妙な反応を示した。
俺も瞬を嫌っているのだと考えたからなのか、瞬がその瞳を見開く。
横から見ていると、子供のそれのように大きな瞳が、本当に零れ落ちてしまいそうだった。

「努力して、誤解があるなら解いてきたよ」
「おまえは、努力してまで、人に好かれようとするのか」

「ど……努力しないで――何もしないで、人に愛される人なんて、ほんとに幸運な一握りの人たちだけだよ! 氷河みたいにっ!」
「俺が? 初めて聞く意見だな」

それは、もしかしたら、俺が口にした今日最初の嘘ではない言葉だったかもしれない。
確かに初めて聞く見解ではあったが、瞬の言うことは事実のような気もした。
母親にも師にも――俺は何の努力もせずに愛されてきたように思う。

「自分が幸せでいることに気付いてない人は、一度、それを全部奪われてみるといいんだ。きっとわかるから。自分がどんなに幸福なのか」

思いがけない瞬の激しさに、俺は一瞬息を飲んだ。

そして、今このまま瞬と死ねたらいい――と思った。
思ってから、その望みを打ち消す。

それは駄目だ。
瞬と俺とでは、死んでから行く場所が違う。






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